宮入慶之助記念館


宮入先生学勲碑除幕式
 日本住血吸虫症の病原体である、日本住血吸虫は、明治37年に岡山大学の桂田富士郎博士が山梨県の流行地で発見しました。原因としての住血吸虫は発見されても、その発育史は全く謎に包まれ、多くの研究者がこの生活環解明にしのぎを削っていました。当時、桂田博士は、中間宿主はいないという考え方をしていましたが、山梨県においては、土屋岩保博士が熱心に中間宿主探しをしていました。
 宮入慶之助は、日本住血吸虫にはその終末宿主に入る前に、必ず中間宿主があると考え、綿密な研究を進めた結果、ミヤイリガイという中間宿主が存在することを証明し、日本住血吸虫のすべての発育史の全貌を世界で初めて明らかにしました。
 この発見が端緒になって、アジア、アフリカ、中南米に分布する他の住血吸虫の発育史が解明され、多くの人々がこの恐ろしい病気から救われました。
 リバプール熱帯医学研究所長、ブラックロック博士は、この世界的な功績をたたえて、宮入慶之助を、ノーベル賞候補に推薦しました。
 最流行地であった佐賀県鳥栖市基里中学校近くには、宮入慶之助の業績をたたえ、「宮入先生学勲碑」(左写真)が建てられています。当時の鳥栖保健所長と関係市町村長の協力によるものです。
 なお、基里中学校は、1990年9月に移転し、現在は鳥栖市民体育センターになっています。
 リバプール熱帯医学研究所長、ブラックロック博士の、
        「生理学及び医学のノーベル委員会」への推薦文(九大医報 より)


 This brilliant work, completed in such a manner as to satisfy in a helminthological sense, the postulates of V.Koeb, is the outstanding discovery in Helminthology of the last twenty years, and the conferring of a Nobel prize on its authors would be a suitable recognition of the honour which such a discovery deserves, not only on account of the intrinsic merite of the research itself, but also on account of the benefits which it has conferred upon a large section of ruffering humanity.

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