(抜粋)

宮入慶之助記念館だより   10号

特定非営利活動法人宮入慶之助記念館 2009(平成21)年 3月31日発行


巻頭言   住血吸虫症の重み          理事・名誉館長   多田 功


 
 昨年秋、韓国済州島で熱帯医学とマラリアに関する国際学会の大会が開かれたので、参加しました.これは日本でも1994年に長崎で開催したことのある大きな学会で、ウイルス、細菌、真菌、寄生虫の広い範囲の研究成果が発表されました.参加者は2千人といわれていました.特にマラリアは世界的な問題として大きく取り上げられ、地球温暖化の時代でのトピックでした.その中で宮入慶之助記念館の立場から、私の興味はどれぐらい住血吸虫に関する演題があるかという点でした.するとシンポジウム総数81のうち、7つのシンポジウムが住血吸虫とそれに関する研究にあてられ、一般演題に相当するポスター総数586題のうち45題が住血吸虫に関するものでした.日本と同じ種類の住血吸虫が分布する中国、フィリピンなどではいまだに住血吸虫による病害は大きく、アフリカなどでは社会経済に与える影響が大きいことを改めて感じました.
 今、済州島は韓国のリゾート・アイランドとして高層ホテルが立ち並び、国際会議場が建てられ、道路が整備され、街には立派なビルや住宅が立ち並んでいます.1970年代初期に、私たち九州の研究者とソウル大学の研究者たちとで、当時高い感染率が見られたフィラリア病の共同研究をした頃の貧しい面影は全くありません.韓国の経済的発展がもたらした繁栄といえるでしょう.その当時一緒に研究をした日韓の研究者たちが1995年から始めた日韓寄生虫学セミナー「フォーラム済州」も既に14回の歴史を数えました.
 人類は歴史上常に感染症と戦ってきました.今、新型インフルエンザの出現におののいています.しかしその他にも環境問題に由来する住血吸虫症、マラリアなどのほか、薬剤耐性をつけた結核、ウイルス疾患、など問題は尽きません.かって歴史学者フリーデルは次のように述べました.「いかなる時代もその時代特有の疾病を生み出すが、それはその時代が生み出した全てのものと同様に、その時代の相貌の一つである。」第2次大戦後続いてきたアメリカ的新自由主義の悪しき影響を払拭して、日本の進むべき良き方向を決め、これに沿った教育、科学振興、国際貢献、国造りを心がけるべき時代ではないでしょうか.

大平得三先生の思い出                   宮入聰一郎      

 昭和2710月、祖父慶之助の「宮入先生学勲碑」が佐賀県鳥栖市基里(きざと)に建立され、その除幕式に、私(まだ小学4年生頃)は母と共に参列し同席させていただいたのですが、その時の記念写真(当館記念誌「住血吸虫症と宮入慶之助」の265頁及び274頁)には、佐賀県の鍋島知事を中心に、大平得三先生(写真の中段左端)がいらっしゃいます。大平先生はその時の思い出として、寄生虫学雑誌第5巻第2号(昭和616月)に門弟代表として慶之助の仕事の偉大さを書いて、それが石碑の裏面に彫り込まれた事を記述されています。まだ、私は幼なかったので、先生の威厳のある印象以外は特別覚えておりませんが、除幕式の記念品として、白地に紺色の鯉の絵柄がある大きめな伊万里焼の花瓶と紅白饅頭をいただいたことは覚えています。
 ところで、その後私が昭和324月高校に入学した時の校長先生が大平得三先生だったのです。先生は熱心なクリスチャンでしたので、酒もタバコも嗜まれませんでした。祖父慶之助はご存知の通り、お酒をこよなく愛しておりましたので、大平先生曰く、お酒を飲む人は「(ごく)つぶし」だと冗談まじりで言ったとかの話しもあります。(「九大風雪記」西日本新聞社刊)大平先生は、とにかく学問一筋の教授だったそうです。慶之助の愛弟子のお一人として、その後、衛生学教室をお継ぎになられ、九大退官後は、他大学で教鞭をとられたそうですが、最後の鹿児島大学医学部退官後、縁があってキリスト教系の学校の校長へと懇請されて、昭和266月この高校へ赴任されたとのことです。まだ入学したての高一の私としては、校長訓辞を聞くについても、小柄だったとは云え口ひげを生やした、どちらかと言えば、いかつい容姿の偉い先生の雰囲気でしたので、「怖いなー」という感じが先に立ち、昭和3410月に退職されるまで、とうとう校長室などに1人でお尋ねすることもありませんでした。今にして思えば、ご挨拶にお伺いしておけばよかったなあーと思います。

 前号(第9号)「記念館のひろばからーある問い合わせー」への注釈追加について      

 記念館だより第9号の、2頁「記念館のひろばからーある問い合わせー」の文に於ける、5~6行目に「(略)肛門の粘膜からミヤイリガイの卵がみつかった(略)」という記述がありましたが、保阪幸男氏から、「この記述は、誤解を受けやすく不適切」とのご指摘を受けました。この部分は、問い合わせ者の原文をそのまま掲載しましたが、たしかに誤解を受けやすいので、保阪氏のご提案に沿って次のような注釈を追加・挿入することにいたしました。「肛門の粘膜からミヤイリガイの卵」の文の後に、「*注 これは、ミヤイリガイの卵ではなく、日本住血吸虫の卵であると思われるが、同虫病に罹った経験がある患者さんは、その病気に関係するミヤイリガイの名が印象深く覚えやすいので、このように表現したと思われる。」との注釈を追加します。編集部の認識不足及び内容についての検討・吟味が足りなかったために、関係する皆さまにはご迷惑をおかけいたしました。お詫び致します。

 慶之助の帝国大学卒業証書について             研究員 宮入建三

 昨年の10月26日に、当記念館は、特別開館を実施しました。その際、特別展示として、宮入慶之助の大学卒業証書(田口富男氏所蔵)を展示しましたが、その紹介を致します。
 慶之助は、明治231890)年1031日付けで帝国大学医科大学を卒業しました。その卒業証書は、46.5×64cmの大きさで、慶之助の名前のあとに「醫科大學醫學科ヲ修メ定期ヲ歴テ試問ヲ完ウシ正ニ其業ヲ卒ヘタリ仍テ之ヲ證ス」と記され、各教科目と教えた人物の肩書き、氏名、押印があります。
 江戸時代の医学所は、明治新体制の発足とともに、めまぐるしくその名称を変更され、明治10年には東京医学校として改組された後、明治19年に帝国大学と改称しました。明治30年には京都に帝国大学が設立されることに伴い、東京帝国大学という名称となりました。従って、慶之助は明治23年卒業であり、この卒業証書は「帝国大学」となっています。
 帝国大学は、一時期ドイツ人教師により、全科目がドイツ語で教えられていましたが、最後まで残っていたのは、ベルツ(内科、Erwin Baelz、明治9年から滞留25年)と、スクリバ(外科、Julius Scriba、明治14年から滞留20年)だったといわれます。
 この卒業証書においては、外科総論・外科臨床講義・外科手術実習を担当した外国人のサインがありますが、筆記体のサインでありJulius Scriba(スクリバ)とは確認がしにくいが、そのようにも読みとれます。もしかしたら違う人物であるかもしれません。内科各論・内科臨床講義の、Erwin Baelz(ベルツ)のサインは分かりやすく、そのまま読みとれます。(部分コピー参照)
 証書には、三宅秀、青山胤通等々、日本の近代医学黎明期に活躍した人物の名前が記載されています。
 慶之助は、衛生学教室第二代目の緒方正規教授の教室に卒業と同時に助手として採用(明治2311月)され、その約一年後に京都府医学校教諭となりました。(明治249月)

 記念館活動記録      

    宮入慶之助について、小中学生にも分かりやすいように表現したパンフレット(A5判、4ページ)を作成しました。記念館周辺の小学校2校に紹介しました。引き続き周辺の小中学校に配布したり紹介する予定です。
    平成20年9月13日から3日間、長野市の中心市街地で行われた「昭和時代の想い出ー歴史品展示会」と題するラジオ・カメラ展示に併設して記念館の紹介展示を実施しました。(写真は会場のスナップ)
展示会の主催者から声がかかり、当館が所蔵するラジオコレクションから約120台のラジオを出品するとともに、宮入慶之助の業績を紹介するパネル4枚を展示し、当館のパンフレットの配布を行いました。3日間の来場者約700名、当館資料配布数約150枚でした。

    平成201026 日に当館を日頃目にすることの多い近隣住民の方々に、より詳しく館内を見ていただき、親しんでいただくために特別開館を実施しました。この日は、常設展示に加えて、1)宮入慶之助の大学卒業証書2)子供向け説明コーナー 3)ラジオコレクション展示、を加えました。この日のために、記念館周辺の岡、神明地区を重点に約200枚ほどチラシを配布し宣伝しました。開催結果は、当日は曇って肌寒い日だったにもかかわらず、14名の方がご来館くださり親しくお話させていただきました。40歳代以上の方がほとんどでした。開館が一日限りだったこと、もっと興味を持ってもらえる趣向が欲しかった等々反省すべき点もありました。気軽にちょっとのぞいてみようと思われるような展示内容を工夫する必要性を感じました。来館者は、全員が記念館への熱い気持ちに溢れる方々ばかりで、とても励まされました。

    長野市松代町にある観光ホテルで旅行会社のミステリーツアーのプログラムのひとつとしての協力依頼があり、平成20年12月より21年3月末までホテルのロビーでクラシックラジオ・カメラの展示コーナーが設置されました。当館からはラジオ約20台と関連パネル4枚を展示するとともに、当館の館名表示とパンフレット配布を行いました。


 編集後記


・当館をNPO法人化して1年経ちました。宮入慶之助の業績を末永く顕彰し後世に伝えるための持続的活動への小さな一歩に過ぎません。課題山積ですが、過日来館された某総合商社の幹部から、海外へ赴任する社員への講話で、「住血吸虫の危険に関し迫力ある話ができた。」と感想をいただき、多少はお役に立ったとささやかな喜びを感じました。
・当館は、今年の11月で開館10周年を迎えます。10年間の蓄積と成果をもとに、節目にふさわしい記念事業をやりたいと検討中です。たとえ乾いた大地へのわずかな一滴にすぎないものであっても。