(抜粋)

宮入慶之助記念館だより      12号

特定非営利活動法人宮入慶之助記念館 2010(平成22)年 3月15日発行

開館10周年記念行事を終えて                宮入 源太郎 (館長)


昨年秋、1024日から11 4日まで、宮入慶之助の生誕地区であり真田藩の城下町であった長野市松代町にあるギャラリー松真館で「宮入慶之助とミヤイリガイ展」と題して記念展示会を開催しました。当館の収蔵品の中から、彼の人物像とミヤイリガイの発見、世界初の日本住血吸虫症安全宣言に至る歴史、現在の寄生虫問題などのテーマで説明パネル約50枚、品物約40点を展示しました。この中には、東京の目黒寄生虫館のご支援によるサナダムシなど寄生虫3種の実物標本の展示も実現しました。冷涼な時期でしたが、期間中地元を中心に遠くは東京から合計で140名余の方々が来場されました。その殆どの方が郷土出身である宮入慶之助のことは知らなかったという感想でした。
次に、1114日午後JR長野駅近くのホテルサンルート長野東口で「日本住血吸虫症の現在を考える」というテーマで、現在でもこの分野で活躍されるトップクラスの専門家であられる林 正高、太田伸生、石井 明、多田 功の各氏を講師に迎えて講演会を開催しました。
国内では制圧され、人々の記憶から次第に忘れられつつある日本住血吸虫症の現在について貴重な講演をいただきました。予定された50名の席は満席になり補助席も足りないほどでした。寄生虫、なかでも住血吸虫については全くと言っていい程話題になることのないこの地域での講演会でしたが「知らなかった」「よくわかった」などのお言葉をいただきました。講演会後の懇親会にも多くの方々に参加いただき盛り上がったことは、最高の喜びでした。
以上の記念行事については、信濃毎日新聞、長野市民新聞、信越放送ラジオ、松代有線放送、週間長野などで取り上げて下さいました。
この記念行事の開催に尽力いただいた関係者の方々、ご来場の方々に心からお礼申し上げます。この記念行事を通じ、従来には無かった多くの方々と交流でき、宮入慶之助の業績について知っていただきました。また、制作したパネルや展示装備は今後記念館以外の場所で同様な出張展示会を行える資産になります。
しかし、今回の記念行事を通じ我々の活動がまだまだ不足であったことを痛感しました。講演会の講師から「墓守りになるな」とのご指摘もありましたが、私たちは千円札に肖像が残るよりは、一人の学者の人物像と業績を保存・継承するとともに、カイ発見により官学民にわたる多くの先人の総力を挙げての努力により世界に先駆けて住血吸虫症を制圧した歴史を大切にし、しかも現在も安全を維持するために地道な活動が続けられていることや海外の有病地帯での制圧に協力が続けられていることにも目を向けながらの、尚一層の努力が必要だと思いました。
このために、今回は記念館の今後について出来るだけ大勢の方々からご意見をいただき、これを一挙に掲載した特集号としました。

 記念館の今後を考えるー私の意見
  記念館の今後について16名の方々から以下のようにご意見をいただきました。
 掲載に際し、掲載順はご執筆者のお名前の50音順に、お名前の後に記念館との関係・お立場とお住いの都県区市を記載させていただきました

「今後の記念館について」    
                 
          石井 明(会員、講演会講師・東京都世田谷区)

*次の課題では2013年があると思います。2013年は宮入先生グループのお仕事を中心として日本住血吸虫の生活史が解明されてから100年となる重要な年で日本の寄生虫学にとっても記念すべき大業績であります。2013年を機会に記念事業が計画される事を期待します。他の組織と連携を取り準備を開始するのが良いと思います。
*生物の多様性の問題、生物資源の保護が話題になっている今日、ミヤイリガイの天然記念物指定申請をするべく検討をしては如何でしょうか?
*継続性ついては財政基盤を充実させて行く事が重要であります。収益事業の検討も順次進めては如何でしょうか?地元に益の有る事で小中学校の理科教育に貢献するとか、地元の自然環境の保全整備などを模索する案はないでしょうか?地元の高校や大学との関係の展開が出来ると発展すると思います。環境関連のNGOとしての可能性は如何でしょうか?

「これからの道」             板倉 キイ(会員、館長妹・長野市)
 出版、講演会、松代での展示など、懸案だったことを終えた今、今後の本館の役目は、資料の整理保存ではないかと思う。ここまで足を運ばずとも、どんな資料があるのか検索できるように整理し、さらに防火設備を備えた上で、事実上の閉館に向かうのが自然と思う。次世代の館長候補があるとなれば別だが。開館当初は、物珍しさと義理で、身に余る多数の来訪者を迎えそれは亡父母の大きな喜びであったが、再訪はない。地元にとっては迷惑施設ではないとしても役立つものでもなく、「郷土の偉人」の仲間入りさせて貰えるのは、当時の地主階級としては金の使い方がまともであった結果で、そしてそのおこぼれで成育させて貰えた私ら相続人にとっては、社会的に意義深い相続財産の使途をみつけて、せめての罪滅ぼしと思いたい。したがって、NPO法人といっても、協力支援してくださる方々に、現状維持以上の期待を負わせるのは少々身勝手かと思う。

   「今後の記念館を考える−私の意見」
       太田伸生(講演会講師、日本寄生虫学会理事長・東京都文京区)
 先年、熊本県小国町の北里柴三郎記念館を訪ねました。さすがに財団法人の運営になる記念館で、生家、写真資料など歴史的価値のある展示が盛られて、見所のある施設と感服した記憶があります。宮入慶之助記念館もそのレベルに近づくことを願いますが、財源や施設規模の点で現状では恐らく困難でしょう。
 山奥にある北里記念館をわざわざ訪ねることはありませんが、北里の業績を知る者には熊本に用務があれば訪問したいと思わせます。宮入も世界の住血吸虫症対策に与えた功績は高く評価されるべきであり、信州を訪れる医学関係者に宮入記念館を訪ねるように思わせたいと思います。そのためには何をするべきでしょうか?私の立場からは宮入の業績をあらゆる媒体を通じて宣伝する努力を払いますし、九州大学の支援がもっとあってよいと思います。一方で、館長には記念館でなくては閲覧できない資料の一層の充実を願うものです。レイアウトの改善も加えて、宮入の実像に触れる感動をより広くアピールできないものでしょうか。

「今後の記念館を考えるー私の意見」     川野 登(会員・東京都羽村市)
 開館以来10年を経過し一つの節目を迎えた当記念館は、今後を考える時期にあると思います。そこで、私の意見を申し上げます。
1. 記念館運営について
 これまでの10年間は、運営方針(書籍「住血吸虫症と宮入慶之助」によると親族が中心になり運営する)にのっとり運営されてまいりましたが、この10年の間に、人手の問題、費用の問題等々の問題点が、浮彫りになって来ました。そこで、もっと種々の上部団体(例えば学会、国、県、市等)に要請し、参画いただける方法は無いのか検討する。
2. PRについて
  イ)インタ-ネット、記念館だより等でPRすると共に、看板(記念館の周囲、駅、等々)を設置する。
  ロ)学校(小、中、高校等)に依頼し資料を配布する。
3. 昨年の10周年記念事業の展示会の様な行事を近郷都市(例えば松本市、山梨県内、上田市等)で計画的に実施し知名度の向上を図る。
 以上のような活動を行うには、人、物、金が必要となります。まず1項の運営方法の改革が必須であり、初代館長の宮入耕一郎氏の意図される所を良く分析し、多方面のご協力を得ながら実行に移し、記念館が末永く発展することを期待します。

「今後の記念館を考えるー私の意見」      清永 孝 (会員・東京都江東区) 
 外国の都市と、姉妹都市になっているという話はよく耳にしますが宮入記念館も適当な相手と、姉妹記念館として友好関係を結ぶ構想はどうでしょう。例えば中国や台湾に、我々の記念館に類似した施設があったとすれば、運営や地域活動などでの話し合いは無論ですが、共同でイベントを実施する可能性も十分あります。ただ、相手をどのようにして探し出すのか?相手とどのようにして交流するのか?など、経済的にも人的にも、具体化するための難問は山積しています。しかしかつて「住血吸虫症と宮入慶之助」の出版を実現させた広い人脈があります。その人たちのエネルギーをもう一度、集約できれば難問を突き崩せるのではないでしょうか。国内で相手を探すのは幾らかでも容易でしょう。でも、せっかくの事ですから、相手の国でも話題になるような国際的な「姉妹記念館」の実現を目指したらどうでしょう。

「今後の記念館を考えるー私の意見」            小林 照幸(来場者・東京都墨田区)  記念館設立には「研究者や医学生といった限られた人だけに知られる宮入慶之助の存在を、多くの方々に知ってもらう契機にしたい」という願いがありました。地方病の名でかつて県民が苦しめられた山梨県ですら、その恐ろしさ、根絶に立ち向かった努力が年々風化してゆくのを関係者が嘆く趨勢の中(風化は苦しみから解放された証としてポジティブに受け止める見方も可能ですが)、長野市を中心にメディアの報道もあり、多少なりとも宮入慶之助の名前と業績が地域に知られるものになったのは着実な進歩だった、と私は受け止めたく思います。「お隣の山梨にかつて恐ろしい風土病があった」と知る人もまずいなかった、この土地柄において、記念館の設立により、郷土の偉人・宮入慶之助と宮入貝の存在が初めて知られる有意義な契機となったのは間違いないでしょう。欲を言えばキリはありませんが、無理はなさらず、堅実な歩みを重ねられることを願います

「今後の記念館を考えるー私の意見」      渋川 眞喜男(会員・東京都調布市)
当記念館の目的は、慶之助の偉業を後世に伝えることと共に、NPO法人として定款で規定するように「保健・医療・福祉の増進、社会教育の推進、自然環境の保全など」であり、今日の社会的テーマへの取り組みに寄与することにあります。
その原点の実践として記念誌の発刊や、昨年の10周年記念行事は大変意義深いものでした。今後とも同様のイベント開催や、情報発信を積極的に行うべきであります。
 しかし一方本質的な問題として、この先慶之助の偉業の風化現象は時間とともに避けられず、また記念館運営の継続性が危惧されます。あらかじめ有限的な活動と割り切るか、或いは別な道を模索するか重要な判断が必要と思います。

以下、個別の課題や改善事項をあげます。

(1)他施設との提携、協調活動

(2)地域メデアを活用した宣伝(有料広告宣伝)

(3)資金面でのスポンサー獲得、国税庁の「認定NPO法人」の資格取得

(4)展示内容拡充、内容目録・解説書整備

(5)展示スペース拡張、展示体裁・表看板の改善

(6)HPの継続的メンテナンス、記念館だよりの抜粋掲載

「今後の記念館を考えるー私の意見」       下田 純一(来場者・長野市)
宮入慶之助記念館開館十周年記念講演会に参加させて頂きました。4人の先生方から、住血吸虫症やミヤイリガイのことをはじめ、先生のご功績・人柄にふれて分かり易くお話しして頂きました。「郷土の偉人・宮入先生」のことをあまりにも知らなかったことに愕然とする思いでした。

恐ろしい住血吸虫の中間宿主(ミヤイリガイの発見をはじめ、その制圧のもとを作られたノーベル賞にも値する先生のご功績・お人柄(特に「納得するまでやり遂げようとなさった人」)を、大きな未来を背負っていく子ども達に、まず伝えていかなければという願いが湧いて参りました。

記念館の啓蒙のご努力に感謝すると共に、宮入慶之助先生の「子供向けパンフレットや冊子」の作成・配布が、市教育委員会や諸学校の協力を得て実現できれば、啓蒙の夢は更に大きく前進することと思います

「今後の記念館を考えるー私の意見」        鈴木 政太郎 (会員・長野市) 
 
宮入慶之助誕生の地-西寺尾で農業にて生活をしている者として、記念館が気軽に立寄れる施設として永続的に存続してほしいと思います。
地味な活動ではありますが、今以上に親しまれる記念館になるよう運営に心掛けてほしいと思います。

「浅き春に寄せて」        多田 功(会員、講演会講師・福岡県太宰府市)
 南下する航空機
B767のエンジン音が快い。成田空港を離陸し、機は水平飛行に入ったところだった。宮入館長と私はグラスを上げて、これからの旅路の成功を祈るのであった。同行の方々もほっとした表情である。私たちはこれからマニラに向かい、日本住血吸虫の実態と対策を視察する旅に出たところだった。今回の旅は1)日本住血吸虫病の流行地を実際に体験し、2)写真や貝など資料収集をし、3)フィリピンの医療・防圧担当者と会い、4)非流行地にある宮入慶之助記念館の今後の活動方針を考えようという趣旨で始まった。事の起こりは昨年、記念館開館10周年を機に、我々は宮入博士の「墓守り」では終わるまいという合意であった。それ以来、関係者はそれぞれ旅費を工面したり、現地やメンバー同士の打ち合わせをし、資料を読んだりして今日に至ったのだった。私個人もフィリピンは初めてであり、住血吸虫病流行地を実見する良い機会であった。今も残るスペインの面影、信仰に殉じ異郷に死んだ高山右近の足跡、望郷を秘めた日本人町・・・とイメージが交錯しているうちに、私はシートを倒してまどろんでいた。ふと目覚めたら、自宅のベッドで明るい朝の日差しをカーテン越しに感じた。あ、春の夢だったのだな、と何故か私は立原道造という詩人の名を思い出していた。表題は彼の詩のひとつだ。                     

「今後の記念館を考えるー私の意見」          長澤 保(会員・長野市)
私はエコール・ド・まつしろ倶楽部の会員として、松代藩の史跡めぐりに参加してきました。佐久間象山、松井須磨子や松代大本営地下壕等々は有名ですが、医学界で偉業を成し遂げた宮入慶之助博士の存在を知る人は少ないと思います。そこで、次のように提言します。(1)将来を担う青少年に向けた教材(副読本)を作る。そして文科省の教科書採用検定合格を目指す。(2)当ミュージアムにも学芸員を配置する。(3)エコール・ド・まつしろ倶楽部のミュージアム部門に「社会見学コース」則ち、県立歴史館→真田宝物館→典厩寺→宮入慶之助記念館→川中島合戦場→長野市立博物館を設定する。

  「記念館の今後を考えるー私の意見」    林 正高 (講演会講師・山梨県甲府市)
宮入慶之助記念館
(以下記念館とする)の活用について、記念館は次のような特徴があると思います。
  1. 記念館は地方に位置し、長野県は日虫症の有病地ではない。
  2. 展示内容は日本住血吸虫関係に限られている。
 
3. 展示の主体は古代からの世界的難病、日虫症撲滅の端緒者宮入慶之助先生の紹介である。

記念館の活用について次のように考えます。
 1. 日本は世界で唯一の日虫症撲滅国であることを強調する。
 
2. 日虫症や感染症が少ない日本人がこのことの至福感を得るには、日虫症の実態と郷土の偉人の業績を地域の中学生、高校生、住民などに知ってもらうことにあると思われる。 3. その機会を通じて対象者が生物学や自然界への興味・関心を持つことに連なり、そこに記念館存在の意義があると思われる。
 
4. 時には専門家により記念館で説話会をしてもらうことも良いと思われる。
 
5. 地域との接触は、館長が学校長、理科・社会の先生方、地域の保健婦、組長さんに記念館をPRすることに依る。
 6. その手段として対象者に記念館誌や行事の紹介をすることも良いであろう。

「記念講演会の感想から」                            福田 初江(会員・長野市)
多田先生の「お墓を守っているだけではなく~」というお話をお聞きし考えてみました。寄生虫に関する情報を発信する地域のささやかな寄生虫の資料センターのような機能も持たせたらどうかと思いました。日本は、衛生状態が良くなって、寄生虫は少なくなり、関心が薄らいでいますが、世界中には、汚染地域がたくさんある訳ですし、魚介類、ペットを介して感染の恐れもあり、寄生虫に関する情報は大事と思います。先の「ミヤイリガイと宮入慶之助展」の折、回虫やサナダムシ等、寄生虫に関する展示がありましたが、それを見て、寄生虫の生活史や、恐ろしさがよくわかりました。今は、インターネットで簡単に検索できる世の中ですが、子ども達にとっては難解です。子ども達に分かり易い資料を、少しずつそろえ、展示したり、小、中学校等に貸し出せるようにして、人々の寄生虫に関する関心を少しでも高めることが、慶之助先生のご遺志にも添うのではと思いました。

  今後の記念館を考えるー私の意見」 松林 壮郎(賛助会員・東京都板橋区)
記念館の今後について次のように提言します。
1. 来場者数の目標は、2010年で500人、向こう10年で10,000人。
2. ターゲットは小学校の高学年と中学の低学年まで。中学は学年が上ると受験に追われる。
3. まず歩いて来館できる地元の学校を第一目標とし、次に路線バスで来場できる学校という風に進めてはどうか。教科書に載っているからとて、野口英世ばかり教えられるが、歩いて行ける或いはバスで行けるこんな近くに、こんな業績を上げた偉人がいたんだ、と知ることで、子供たちに郷土愛を持ってもらうという教育効果もあるのでは。
4. 説明資料及び語りの工夫をする。いきなり慶之助博士の業績を述べても、現代では大人でも、すんなり理解できる人は少ないと思う。まず、どんな病気というか症状で、どんな人たちが苦しんでいた、というところから入り、今ではもう見られないが、昔は農家の人たちは皆裸足で田んぼに入って農作業をしていたという話をして、害をなす日本住血吸虫なるものが、川にいる貝の中にいて、その貝から農民の足にその虫が入り込んで病気を引き起こす、と話を運んで、農民は別に悪い虫を宿した貝だとは思ってなくて、それが病気が流行る原因だったのを、慶之助博士が突きとめて・・・。話の最後に「宿主」という言葉が出て、シュクシュという言葉を一つ覚えれば、子供たちはすごい勉強をした気分になって帰って行くのではないかと思うのですが。
5. 地元の学校に課外授業の一つに取り上げてもらう運動をする。その際に必要なのが上記の説明資料です。子供向けとして館長が作成人となり、理事の先生方に監修者とし名を連ねていただいてはどうでしょうか。

10周年を迎えて」         宮入 建三(会員、館長弟・長野県佐久市)
慌ただしく過ごした10年でした。これまで記念館がなんとか継続できたのは、多くの皆さまにご協力いただいたおかげです。10年間にわたって記念館が収集した、関連諸資料の整理保存が大きな仕事です。宮入慶之助は、寄生虫学ばかりでなく、日本の近代医学発展にとっても重要な役割を果たしてきました。そういった視点での諸資料の検討も必要です。また、この間の記念館活動では、宮入慶之助、寄生虫問題等が地元でまだまだ知られていなく、関心が少ないということを痛切に感じさせました。いろいろな機会をとらえてもっと多くの方々に知っていただくための努力が必要です。その為には、分かり易く手軽な資料(材)作りも欠かせません。さらに地球規模の環境問題が叫ばれている現状と、寄生虫の問題は、深く関連しています。当記念館が、地球温暖化、環境問題にも関連し連携する事業展開が出来るようになれば良いのだがとも考えています。組織的な面では、現在のメンバーの高齢化を考えると、記念館が長く継続可能となる体制作りをどうするか?が重大な課題です。

「今後の記念館を考えるー私の意見」         宮入 聰一郎(会員・親族)

今後の事業をどの様に展開しようにも、現況の厳しい経済・金融情勢から個人的な物的・人的負担や支援に頼ることには限界があると思います。そこで基本的には、物的(財政面)、人的(運営面)側面に於ける柱がなければ展望は開けないのではないでしょうか。

これといった成案や打開策はないのですが記念館の存続、事業継続を第一義に考えると、国が破綻しない限り、行政など公的支援が見込める補助事業や展示会場など公共施設の使用、利用依頼、公的機関の事業に参加・便乗する方策を考え応援して貰えるように接点を見つけることが出来ないものでしょうか。私なぞ親族が出来ることの限界は目に見えていますので、例えば過日、記念行事でご講演頂いた高名な諸先生のご威光をはじめ、諸方面の知己を頼り、おすがりして、県・市など行政や公的機関との接点をご紹介、利用させていただき、その打開につなげていく方法はないものかと思う次第です。

 編集後記

 
*記念館が開館して10周年という節目を迎えて、今後について改めて考えたいと思い、皆様からご意見をいただき、これを掲載いたしました。皆様からのご提言はどれも胸に響くものでした。厚くお礼申し上げます。
*記念館の北200m位のところにあったコンビニエンスストアが閉店し「テナント募集」のビラが貼られています。同じく南東500mくらいのところにあった農協の支所が統合により閉所しました。ここは慶之助の生誕地区を管轄する西寺尾村役場のあったところです。これらの建物や駐車場が空いたままになっている一方、記念館の展示室は狭く雑然としており更なる改善の必要を感じています。空洞化と過密のアンバランスを埋められないかと考えるこの頃でもあります。
    皆様からの貴重なご提言をもとに、記念館を今後どのようにすすめていくかを理事会にて議論して更なる歩みをすすめていきたいと思っています。