(抜粋)

宮入慶之助記念館だより  14号

宮入慶之助記念館     2011(平成23)年 3月31日発行

巻頭言    日本を憂える          多田 功(名誉館長


昨年秋にはクロスカップリングという化学技術でノーベル賞受賞者として、根岸・鈴木という二人の日本人学者が選ばれ、胸の熱くなる思いをしました。その2年前には海外に出たことのないという理論物理学者を含め4人の日本人学者が選ばれています.同じ世代に属し、太平洋戦争後の困難な時代を生きてきたものとして、昭和の価値観が間違ってはいなかったのだという思いを強くしたものです。
 ところが最近の国連ユネスコ白書(2010年12月)によれば、日本の科学技術に対する政府の投資減少、大学院博士課程入学者の減少などから日本の科学分野での遅れを強調しています.そして世界で最も技術革新に熱を入れているのは韓国だと述べています.昨年10月小生は韓国での国際学会に参加しましたが、それは国立生物資源研究所という壮大な研究施設で開催されました.韓国が次世代のために大きな投資をし始めて居ることを痛感しました.日本人の海外にいる留学生、研究者の数もピーク時の半数程度と減少しているのも問題です.
 平成の今、日本の若者達は「志」や覇気を失って来たように見えます。彼らは社会的な競争を好まず、海外に出たがらず、小さな人生を欲しているのでしょうか。老人が増え続け資源のない日本が生き残る方法はひたすら科学と技術分野の成果に基づくことは自明です.日本政府の外交、国防、あるいは統治レベルでの能力の低さが一段と目立つ昨今、日本国家のあるべきレゾンデートル(存在理由)を国民一人一人が真剣に検討し直し、国是を決すべき時だと思われます.

宮入慶之助先生の偉業の足跡をたどる旅   川野 登・澁 眞喜男(監事)


平成22年10月15日と16日の両日宮入先生ゆかりの北九州地方の各所を訪れました。目的は、先生の学究の府である九州大学と宮入貝発見に至った現地に立って、その偉業を偲び実体験しようとするものでありました。
以下訪れた所を箇条的にご紹介させていただきます。

1.九州大学医学部(福岡県福岡市)

構内の建物は比較的真新しく、また随所で新築や改築が行われている様子で、学究の最高学府としての力強い構えが感じられた。ここでは「宮入通り」と図書館の「宮入文庫」を見学した。「宮入文庫」は1000冊近い蔵書で、現在全体を整理している途中とのことであったが、先生の並々ならぬ学究への取り組みが100年後の今日もなお伝わってくる思いであった。

.宮入先生学勲碑 (佐賀県鳥栖市)

昭和27年に地域住民によって建設された先生の学勲碑である。宮入先生は大正2年にこの地域に生息する小巻貝が住血吸虫の中間宿主であることを発見されたと云う。

先生も当時日夜調査研究に没頭されたであろうこの地の田園が広がる中、小高い丘に立つ学勲碑は実に堂々とした力強さを感じさせるものであった。背面には建立者の名前が刻まれており、住民の強い感謝の気持ちによる建立であることを伝えている。

.宮入貝供養碑 (佐賀県久留米市)

この供養碑は久留米市の筑後川支流脇の小さな公園の一隅に置かれていた。どっしりとした灰褐色の自然石の碑で、宮入貝の生息最終確認地と刻まれている。
供養碑には「人間社会を守るため、人為的に絶滅させられた宮入貝を供養する」旨の文が記されている。人間本来の優しさや仏心のあらわれであろうか。

.宝満宮 (福岡県久留米市)

宮入貝供養碑にほど近い民家の庭にある「宝満宮」を訪ねた。この神様のご神体は住血吸虫で、戦時中徴兵検査を免れるために信仰され、この部落では神様の加護で甲種合格者が出なかったとか。木づくりと石づくりの2つの小さな祠が並んで建てられていた。人の命を奪う害虫が駆除と信仰という相反する対象として扱われたところに、どちらも現実に直面した真実の悩みであったことを思わされた。

.ハンター博士胸像 (福岡県久留米市)

長門石小学校の玄関前の庭先に高さ1m弱の小ぶりなブロンズ像が置かれていた。

ハンター博士は米軍の陸軍大佐で、戦後連合軍寄生虫部長としてこの地域の寄生虫被害の深刻さに同情され、宮入貝撲滅に献身的な努力と指導をされたと云う。この国境を越えた人類愛によって、住民の生命と生活に明るい希望を与えられた。この博士の高徳をたたえて昭和27年にこの胸像がつくられた。

.日虫対策施設完成記念碑 (福岡県久留米市北川原公園)

公園というより広場といった感じの所に、これはまた3mを超えると思われる、仰ぎ見るような立派な記念碑が建てられていた。碑文によれば、この地域は長年日本住血吸虫に悩まされており、その対策に苦慮していたが昭和35年に日虫対策施設として全溝渠コンクリート化が成し遂げられた、とのことである。

今回の旅を通じて最も感じたことは次のことであります。

筑後川流域は日本住血吸虫病の濃厚な流行地域として、長年にわたり地域住民の命と暮らしにとって大変重大で深刻な問題であったこと、そして宮入先生がその解決にいかに大きな力を尽くされたかが分かりました。そして地域住民の深い感謝と尊崇の念は、病の根絶に対してはもちろんですが更に先生の精神性というかヒューマニズムに向けられたものだと思いました。

決して風化することのない確かな事実を後世に伝える数々の足跡に触れることができ、心より感謝しております。

ミヤイリガイ飼育の思い出             岩永 襄(会員)


 私のミヤイリガイに係わる仕事との出会いは、1968年広島大学医学部寄生虫学講座に採用され、その当時の教授(故・辻 守康先生)から“実験室内でこの貝を飼育し、日本住血吸虫のライフサイクルを完成させてくれ”と言われたときでした。当時、数カ所の大学、研究所で当貝の室内飼育が試みられていましたが、充分な域に達していなかったようです。飼育開始の約1年間は、失敗の連続で飼育の難しさが痛感させられました。そんなある日のこと、飼育問題解決の出発点となったのは、母校の先生達(長崎大学)からの助言“プランクトンを餌料として飼育を試みたら・・・”という言葉でした。幸いにも、私は学生時代にアコヤガイの室内飼育で、プランクトンを餌料として数ヶ月間飼育したことがあったので、これをヒントに循環式濾過飼育槽を作り、培養プランクトンを餌料として飼育を開始しました。それからは一進一退を繰り返しながら、スリルと期待感を味わいながら、累代飼育を成功させる事が出来ました。更に、この実験成果を基に外国産日本住血吸虫中間宿主貝である6亜種Oncomelania属貝の累代飼育も可能になり、これら中間宿主貝に係わる仕事を進めることが出来ました。今振り返ってみると、今回の飼育には2つの大きな壁がありました。第1に餌料の設定、第2に投餌量の問題でした。特に、第2の壁:小型の貝は濾過量が少ないので餌料の濃度を濃くする必要があるが、高濃度の投餌料は飼育槽内の水質汚染度を高くし、貝の死亡を招きやすい。この両者の検討には、かなりの時間と労力を費やしました。そして、この投餌量と水質汚染の両者のバランスを解決出来たときの充実感は、今でも忘れられない事となりました。ただ心残りは、20~30年間実験室内という狭い環境で数10代または10数代飼育された貝は、自然棲息地のそれと比べると形態学的、生態学的な差異がどの程度見られるのか、充分な究明が出来なかった事です。しかし、私としてはこの貝の飼育実験では、ほぼ完全燃焼出来たとやりがいを感じました。

地方病流行終息の碑を訪ねて          斉藤彰宏・直実(会員)


5年程前、山梨県昭和町にある「地方病流行終息の碑」の写真を撮影し記念館に展示しましたが、もっと良い写真にしたいと思い2月に再度撮影に行きました。ところが、以前の場所からは石碑が消えてしまっていました。驚いて付近の地元の方に聞いたところ旧杉浦医院に移転したのでは、ということだったので、新しく「昭和町風土伝承館杉浦醫院」として開館した同所を訪問し、再撮影させていただきました。
ここ山梨県の昭和町は、地方病と呼ばれた日本住血吸虫症のわが国で最大の流行地でありました。そしてこちらはこの病気の治療と研究のために努力された、杉浦健蔵博士と息子の三郎博士の医院だった場所です。広い邸内は昭和町によって母屋や医院を中心に整備され、平成22年に開館されたとのことでした。
中野良男館長のご案内により、館内を見学させていただきました。
待合室、診療室、調剤薬局、レントゲン室などが昔のまま保存されていて昭和の時代に戻ったような雰囲気でした。調剤薬局には古い薬ビンがずらりと並び、机の上にイギリス製の陶器の浄水器があったのにはびっくりしました。また2階にはDVDによる大画面の装置があり、伝承館の説明ビデオを見せていただきました。中でも地方病撲滅のための記録映像、特に宮入貝の駆除の様子が印象的でした。
樹木で囲まれた入口に「地方病流行終息の碑」があり、広い駐車場や庭園、宮入貝の天敵を研究飼育したという池などもありました。私達宮入慶之助記念館からみるとうらやましい立派な施設であり、またとても勉強になりました。本格的オープンは平成23年度以降とのことですので、また訪れたいと思います。

記念館活動記録

◇山梨日日新聞の雨宮記者が取材のため来館。(10/29) 11/17~20付の「杉浦父子の願い未来へ」という4回連載の同紙記事の中で、当記念館も紹介されていました。悲惨な地方病の撲滅の歴史を語り継ぐことが難しくなってきていますが、山梨県で地方病の権威として知られた杉浦健造・三郎父子の業績を讃えた伝承館が整備されたことを伝えています。
◇順天堂大学医学部の教官・学生 11 名が来訪されました。(10/25)
高宮信三郎先生を団長として、医学部学生教育の一環として山梨県韮崎市の休耕田でミヤイリガイの観察をし、その後記念館にお越しくださったものです。高宮先生はフィールド学習を重視しておられるとのお話で、今後も記念館がお役にたてばと期待いたしました。記念館10年の歴史の中で、このような機会は初めてであり、学生さん達の質問もなかなか鋭く、印象深い来館でした。
◇ホームページを通して「彩図社」という出版社から、資料提供依頼がありました。ミヤイリガイの写真等を提供。「日本の都市の封印された謎」という本が出版され(2011/01/10)、山梨県の地方病を中心とした記事が2ページ掲載されました。

 新しく入手した資料


「日露戦争時代のある医学徒の日記―小野寺直助が見た明治―」(小野寺龍太著、弦書房刊、2010.7
 多田功名誉館長の寄贈により入手できました。
 小野寺直助は、九州帝国大学の第三内科初代教授となり、胃に風船を入れてふくらませ胃内の運動曲線を測定観察して、胃の疾患を早期診断するという特異な方法を開発した有名な教授です。
 彼は、克明な日記を残していましたが、孫に当たる小野寺龍太氏が、日露戦争を時代背景とした、九州帝国大学学生時代の直助学生の日記をもとに、学生達の生活、学問への情熱、何回か替えた下宿の様子、さらに福岡・博多地方の文化、風情を生き生きと描き出しています。
 衛生学教室教授であった、慶之助については数カ所に記述があり「先生達のなかで直助や三木熊二君がもっとも親炙(しんしゃ)したのは宮入慶之助先生だった。宮入先生には学生が親しみやすい雰囲気があり、(略)」と記されています。
小野寺直助、大平得三を含む同期の学生5名が、レッシングの「エミリア・ガロッテイ」の輪読の指導をお願いしたところ、快く引き受けてくれ、非常に充実した時間を過ごすことが出来たとも書かれています。
 また、学問に対する姿勢は、「外国の真似をするのでなく、自立的に研究することが大切だ」と諭されたそうです。
 三年生の終わりの夏休み頃におこなった生理学の実験研究では、血球標本の作製がうまくいかず、苦心惨憺しているとき、宮入が、血球の固定法、染色法、直径測定法等々親切にアドバイスをしてくれ、その上、一緒に実験研究を手伝ってくれたとのことです。
 この本の主人公はあくまでも小野寺直助学生ですが、当記念館としては、宮入慶之助を知る為の貴重な資料になります。
 宮入に触れている部分の日記原文のコピーを見させて頂きましたが、この原稿資料から、この本にまとめあげ出版迄に漕ぎつけるには、大変な困難が伴ったと考えられ、改めて著者の粘り強いご努力に驚嘆いたしました。
「ペスト菌ニ就キテ」医学士 宮入慶之助 千葉医学会雑誌第29号 1896(明29)、「黴菌學の實際上の目的及び任務」カルル・フレンケル述 宮入慶之助譯 同第30号 1896(明29)、「『アンチトキシーン』治療上の問題」エベーリング述 医学士 宮入慶之助譯 同第34号 1897(明30)以上論説3点。(いずれもコピー)
 宮入の、第一高等学校時代の記録はほとんどありませんでしたが国立国会図書館の電子図書による検索で新しく見つかりました。
   宮入慶之助の肖像を描いた額皿」
 多田功名誉館長から寄贈されました。
 1991(平成3)年3月、福岡大学医学部第14回生の卒業を祝って、同大教授会が卒業生達へ記念に贈った皿。添付の説明カードによると、前年の1990年に筑後川流域にようやく日本住血吸虫症の安全宣言が発せられ、多くの住民が長い間の苦しみから解放され、多くの人々が救われました。人間愛に基づき生命を畏敬し、常に研鑽に努める医師に成長していって欲しいとの願いが書かれています。

記念館前に案内看板を設置



22年度の事業のひとつとして計画していた案内看板の設置が完了しました。当館前の道路は近くの路線バスの停留所に至る道であり、また県道から地区内に入る最寄りの市道であることから、通行人や車両が比較的多い環境にあります。
 当館前を通行する人たちに記念館の簡単な紹介を表示することにより当館についての理解と興味を深め、来館者増と近隣から親近感を増していただくことを目的に計画しました。
 看板は縦60cm横90cmで、高さ145cmのステンレス支柱に取り付けてあり、「開館中」の表示板がかけられるようにしてあります。
 工事費用は賛助会費と寄付を使わせて頂きました。
 ご支援頂いた方々にお礼申し上げます。

 新規会員募集

 
 私たちは、宮入慶之助の業績を後世に伝えると共に、ミヤイリガイを駆除し日本国内を日本住血吸虫症から安全な状態に導いた先人の努力の歴史を末永く伝えることを目標に、記念館の維持・運営、資料の保存・展示・説明・調査・収集、機関紙の発行、展示会・講演会の開催などの活動をしています。

 このような活動にご支援いただける会員を募集しています。

 会員種別は以下の通りです。

 正会員  当館の活動に参加またはご支援いただける方   年会費 3.000円

 賛助会員 当館の活動に財政的にご支援いただける方   年間3.000円以上のご支援
 ご希望の方は、手紙・FAX・Eメール(アドレス gmiyairi@triton,ocn,ne,jp)いずれかの方法で事務局までご連絡ください。入会申込書をお送りします。

賛助会員入会へのお礼       (順不同、敬称は省略させていただきます)




つぎの方々から新規に申し込みをいただきました。厚くお礼申し上げます。
村山 定男、山本 睦子、芳賀 恒之、須沢 満夫、和田 光弘、丹羽 保明
  阿部 昭男、渡邉 佶

ご支援へのお礼                            (順不同、敬称は省略させていただきます)



 次の方々からご支援をいただきました。厚くお礼申し上げます。
寄 金  須沢 満夫、徳嵩 宏光、多田 功、丹羽 保明 
寄 贈  
多田 功、岡澤 由佳、小野寺 龍太、小島 荘明、
信州大学医学部松医会、目黒寄生虫館、稲葉 裕

 編集後記


l      今回は、多くの会員から寄稿いただき、6ページ構成で発行することが出来ました。
ご執筆いただいた方々にお礼申し上げます。
l      広島大学医学部で40年近くミヤイリガイを飼育しておられた岩永先生にご執筆いただきました。以前から、宮入慶之助の業績を語るにはもっとカイのことを知る必要があると考えていました。これを機会にカイについての解説をお願いしたいと思っています。
l      2年後の2013年(平成25年)は宮入慶之助が中間宿主についての論文を発表してから100年目になります。90年のときは記念誌「住血吸虫症と宮入慶之助」を発刊しましたが、100年という大きな節目にあたりそれにふさわしい事業を行いたいものと考えています。どんなことをやるべきか、やるなら社会的意義のあるものにしたいと思います。しかし、我々の現状も考えるとあまり背伸びすることはできません。いろいろ考えるこのごろです。
 皆様のご意見、ご提言、アイデアをお寄せください。 
l      期末の決算作業を合理化するために「NPOのための会計ソフト」を購入しました。
 
ようやくインストールを終わり、練習を開始します。
  今年の決算報告は、このソフトにより作成したいものです。