(抜粋)

宮入慶之助記念館だより  3号

宮入慶之助記念館     2003(平成15)年11月30日発行


 熱帯医学史に刻む光芒:宮入慶之助     
            多田 功(宮入慶之助記念館名誉館長
 九州大学名誉教授)


1.       ミヤイリガイ発見の意義
 昭和30年に九州大学に入学した私は、福岡県久留米市にあった教養部第二分校に配属されました。
 前年の大雨で筑後川の橋が流されていて、川向こうへ登校するためには渡し船で行くという風流な光景でした。始めに船頭から川の水には手足を浸すなと注意されました。それは、当時日本には住血吸虫症の流行があったからです

 幸い日本では、長年の努力が実って根絶できましたが、世界中には未だ2億人の住血吸虫感染者が呻吟しています。
 甲府盆地、広島の片山地方、筑後川流域に分布していた本症は死の風土病として恐れられていました。明治になってこの疾病は多くの医家の研究対象になりました。まず岡山医大の桂田富士郎(1903)が病原体を発見し、すでにアフリカで記載されていた2種と異なる日本住血吸虫という新種として発表しました。しかしながらどのような経緯で住血吸虫が人や動物に感染するかは、世界中で長い間謎でした。したがって、ある種の小巻き貝が中間宿主であることを1913年に宮入慶之助が発見したことは画期的な業績であります。
 1914年に英国の寄生虫学者レイパーは日本を訪れましたが、日本では既に新種記載、住血吸虫症の病理学、感染実験、免疫診断法など多彩な研究が成されていて、中間宿主さえ発見されていたことを知り、ショックを受けました。彼は急いでアフリカの流行地に行き、他2種の住血吸虫も同様に貝が中間宿主であることを調査で明らかにしました。
 後年、英国の熱帯学者であるブラックロックは中間宿主貝を発見した宮入慶之助・鈴木稔(宮入の弟子、後に岡山医大教授)をノーベル賞候補に推薦しましたが実現しませんでした。もしも宮入が英国人なら、当然ノーベル賞を授けられていたことでしょう。英国のロスがインドでマラリアの伝播を明らかにしての受賞後間もない頃だったからです。(敬称略)〈以下次号〉

 宮入慶之助記念館館長就任のごあいさつ          館長  宮入源太郎 

 初代館長亡き後、当館は館長不在でしたが、関係者とも相談した結果、私が二代目の館長として宮入慶之助記念館を引き継ぐことになりました。私は、記念館計画の当初より携わってきましたが、医学や寄生虫のこと、更に記念館活動のことについてはゼロからのスタートであり、現在も勉強中でありますが、記念館設立趣意書にある「宮入慶之助の功績を末永く後世につたえる」ことを基本にがんばっていきたいと思います。
 当館は今年の11月で開館以来満4年になりますが、今後の課題として次のように考えています。
 まず当館を維持・運営していくための財政基盤を確立する必要があります。このために、残された記念館の資産を適切に運用するとともに、維持・運営のために必要な最低限の経費が確保できるような、具体的な活動や対策を企画して実施していきたいと思っています。
 2は、当館の次代を引き継ぐ人材の発掘・育成であります。現在の関係者もいずれは年老いる訳であり、記念館の次代を託す人材にバトンタッチすることを考えておかねばなりません。
 この問題は時間をかけてじっくり取り組んでいかなければならないと思っています。
 3番目として情報提供力の充実があります。
 「末永く後世に伝える」ためには記念館が宮入慶之助や関連する事柄の情報提供の場として充実している必要があり、来訪いただいた方々が新しい知見を得た喜びを味わえるような場にしたいと思います。そして、展示と施設の充実だけではなく、記念館外部に積極的に情報を提供するような活動を、企画し展開していきたいと思っています。この一環として現在記念出版事業を計画中です。
 これらの課題に対して、現状の私どもはまだまだ非力でありますが、名誉館長の多田先生をはじめとして、当館の設立趣旨にご賛同いただいた関係者の方々のご支援とご協力をいただきながら、たゆみない努力を続けて、当館を発展させていきたいと思っています。
 今後ともよろしくお願いいたします。

宮入慶之助記念館その後の活動

◇第43回日本熱帯医学会大会を聴講。   
 平成14年11月21日~22日   於 高知市文化プラザかるぽーと
 新興・再興感染症と熱帯医学をはじめとして、6シンポジウムが行われ、教育講演としては、ノンフィクション作家である、小林照幸氏の「熱帯医学史の中の日本の偉人たち」という講演が行われました。当記念館のパンフレットも学会長のご厚意で配布させていただきました。(宮入源太郎事務局長)
目黒寄生虫館訪問         平成1535
 理事長の亀谷みどり氏と、研究室長の荒木潤氏にお会いし、お話を伺いました。いつもながら、目黒寄生虫館の規模大きさ、内容の充実ぶりには感嘆させられます。私設記念館の運営上の貴重な情報もいただきました。(宮入源太郎事務局長、宮入建三研究員)
◇日本寄生虫学会日本住血吸虫発見100年記念国際シンポジ
ウム
を聴講。  
 平成15年3月29日31日   於 久留米大学御井キャンパス29日夜は日本寄生虫学会の懇親会が開催され、大会長である久留米大学医学部の福間先生のご指名で、乾杯の音頭をとるという栄を賜りました。
 寄生虫分野は日本国内よりも国際貢献の比重が高いことを実感しました。会場に記念館案内パンフレット(英文ガイド同封)を置かせていただきました。(事務局長)
麻布大学寄生虫学教室訪問  平成15714(別掲記事をご覧ください。)

◇第44回日本熱帯医学会・第18回日本国際医療保険学会合同大会を聴講。
 平成15年10月9日11日 於 北九州市国際会議場(小倉)
 次のような講演を聴講しました。
(1)「熱帯医学における疫学の役割」(2)「国際保険医療協力の現場よりーSARS制圧対策をふりかえって」(3)シンポジウム「21世紀の国際保険医療協力をそれぞれの立場から語る」(4)日本熱帯医学会研究奨励賞受賞者講演「熱帯マラリア原虫の抗酸化機構を標的とする抗マラリア薬創薬の基礎的研究」
海外の病気で苦しむ人達を救うために活躍しておられる各種の立場の人々による活躍の様子や、日本の海外援助での現状と問題点の一端を知ることが出来ました。日本の医学・医療が海外でも大活躍していること、その成果は地味ではあるがたゆみない努力をする人々に支えられていることに感銘いたしました。(宮入源太郎館長)

 その後の収集資料

 その後、宮入隆研究員が、宮入慶之助の著作物他多くの資料を収集し、論文等の著作物のコピーは、ほぼ収集出来ました。また、宮入慶之助著「医師」(「実地医家と臨床」誌811号~103号)のコピーは、米田豊様(久留米大学医学部寄生虫学教室)にご協力いただきました。
 さらに、寄贈していただいた資料として、「地方病とのたたかいー地方病流行終息へのあゆみー」を、梶原徳昭様(山梨県衛生公害研究所)から、 「日本における寄生虫学の研究」1-7巻を内田明彦様(目黒寄生虫館館長)からそれぞれご寄贈いただきました。
 厚くお礼申し上げます。

麻布大学寄生虫学教室訪問記      平成15714日   研究員 宮入建三        

 麻布大学獣医学部寄生虫学教室 教授  茅根士郎氏 助教授 斎藤康秀氏、国立感染症研究所昆虫寄生虫学部 二瓶直子氏(麻布大学講師)、宮入慶之助記念館からは、宮入源太郎事務局長と、宮入建三研究員が参加。 お三方には、長時間にわたり(約3時間余)、貴重な時間を割いていただきました。心からお礼を申しあげます。うかがった内容の一端を以下に報告いたします。
        ミヤイリガイについて
 次のようなお話がありました。
 山梨の衛生公害研究所は、飼育、感染試験、繁殖等は、県民の強い要望もあって公式に監視をしている。千葉県の小櫃川(オヒツガワ)での繁殖状況は、住民にはあまり知られていない。“存在しているだけ”の感がある。しかし住民に敢えて知らせても、無用な不安感を与える結果にもなりかねない。生息に必要な湿地帯も減少傾向にあり、近く、ミヤイリガイはこの地域では絶滅ということになるかもしれない。
 甲府の山梨医大にいた、寄生虫学専門の先生が定年で退官されたので、甲府に一番近い専門的機関は、麻布大学だけとなった。
        農業に於ける寄生虫問題について
 次のようなお話がありました。
 日本人には寄生虫保有者は殆どなくなっているが、アジア各国からの外国人労働者には、結構多くの寄生虫保有者が存在する。数年前に一度に数十人の肝蛭感染者を経験したことがある。これは、人畜双方に感染する。結果的には、肝蛭の集団感染となった。百頭をこえる飼育全頭が廃棄処分となり、大変な損失となった。
        GISGeographic Information Systemを使用したミヤイリガイの定点観測
 国立感染症研究所の二瓶直子氏から、先ごろ開催された「日本住血吸虫発見100年記念国際シンポジウム」で発表した演題について、ご説明いただいた。
 釜無川、笛吹川流域のミヤイリガイの定点観測を継続している。測定地点(Sampling Points)は、年々予算が縮小されてきたために、1996年に120地点であったのが、現在(2000年)では60地点にとどまる。
 今回は、地籍図をもとにし、GPS/PDSを使用して、ミヤイリガイの繁殖状況の測定を行った。GPS/PDS機器を採用すると、50cm以内の誤差で地籍を特定できる。今後は、ミヤイリガイの定点観測マップにしてさらに詳細なものにしていきたいとのお話でした。

 山本博達氏を偲ぶ               宮入 聰一郎(宮入慶之助博士のお孫さん)

 謹んで、故山本博達様への追悼の言葉を捧げさせていただきます。
 去る平成1111月の宮入慶之助記念館のオープンセレモニーに際し、20有余年振りに再会することが出来ました。お元気な姿に接することが出来たことを喜び、酒を酌み交わしながら、永い歳月の積もる話を、奥様を交え夜が更けるまで歓談させていただいたことが昨日のように想い起こされます。その折り「がんで手術したがこのとおり元気にしているよ。」とおっしゃいまして、初めて病気療養中であることを知らされました。手術後の経過も良好であるとのことでしたので、体調も回復され、お元気にお過ごしのことと存じ上げていました。
 山本博達様と私とは、従兄の関係にあり、年齢は相当離れているものの、親しくさせていただきました。福岡に居住する身近な親戚として私の両親とも親交がありましたことや、博達様が福岡教育大学の教授であり理学博士の地位におられても、温厚でお優しいご性格から誰にでも親しみを込め、ざっくばらんにお話をされ、特に私の学生時代には青臭い話なども対等に話をしてつきあってくださいました。ある時には、英語文法の勉強まで教えていただいたことなど、教育者としての柔和なお人柄が懐かしく想い出されます。
 私ごとですが、山本博達様ご夫妻には、結婚式の仲人までお願いし、生前には大変お世話になりました。私が定年退職した現在、たまには郷里福岡に帰り博達様と祖父慶之助博士のことなどについて、お話をさせていただければと思っていました矢先のことでしたが、残念ながら今となっては叶わぬこととなってしまいました。
 山本博達様、ここに生前のご厚情とお人柄を偲びながら、心からご冥福をお祈り申し上げます。