(抜粋)

宮入慶之助記念館だより   6号

宮入慶之助記念館     2006(平成18)年 12月26日発行

巻頭言  宮入慶之助記念館の今後を模索する 
        宮入慶之助記念館名誉館長 九州大学名誉教授  多田 功

 昨年末に記念館として数年来取り組んだ「住血吸虫症と宮入慶之助」(九州大学出版会)が発刊され、館長はじめ関係者としては一仕事済んだという満足感を味わいました.貴重な業績を今残さなければ歴史の中に忘れられるという危機感が私たちをかきたて、多くの学者のご協力で完成した業績であると自負しています.宮入記念館としては展示を始めたことに次いで、存在理由を示す第2段階を終えたと言えるでしょう.そこで次の段階はどのような活動を進めるべきであろうか?という点です.
 第1は展示の充実と説明の整備でしょうか.ミヤイリガイの発見に至る宮入の活動、動機などを分かりやすく展示し、理科離れの現在の子供たちにも理解を広げたい.住血吸虫症は過去の問題ではなく、現実に開発途上国で2億人が罹患している疾病です.記念館が音頭をとって国際保健や環境問題にまで理解を広げたい.
 第2に環境問題としての寄生虫病問題を理解する上で、野外実習や研究会の立ち上げなどを構想します.さらには語り部として小中学校での宮入の業績や熱帯病についての講演なども実施できないでしょうか.多くの専門分野からボランテイア講師の協力を仰ぎたい.
 第3に地域の中での記念館の確立を目指したい.上記した活動目標を実現するためには、現在のような個人経営では難しい.会員制の経営を考えたり、理解ある地域の協力者を核にNPO法人化するなどして、財政基盤を作り継続した活動を維持したい.記念館では今年の7月に企画会議を開き、宮入源太郎館長を中心に企画を練っているところです.
 夢はいろいろと広がるが、現実は厳しいことを痛感します.本記念館の活動に興味をもたれる各位のご協力を衷心よりお願いしたい.

宮入慶之助記念館を訪ねて  石井 明(実践女子大学教授、自治医科大学名誉教授)

 2006年夏、長野県にある「宮入慶之助記念館」を訪ねる機会に恵まれました。
 宮入慶之助記念館の宮入源太郎館長とお知り合いになる機会は九州大学名誉教授である多田功先生を通して与えられました。2003年でしたでしょうか。
 日本住血吸虫との最初の出会いは学生の時でした。当時は何も知りませんでしたが、内科の臨床講義で前立ちに当たりました。「前立ち」は学生4名ほどが教授が解説される患者さんの側にたって指導を受けるのです。肝硬変の講義でした。その時初めて寄生虫性の肝硬変が有ることを学んだのです。教授はじゅんじゅんと解説されて、厳しい質問もされました。一緒に立った友人の一人が立ちくらみで崩れた事も忘れられません。まじめな友人できっと夜遅くまで勉強したに違い有りません。ずっと後になってその時の講義録が雑誌に掲載されていたことを知り驚きました。幸いに今の日本では、もうこうした患者の講義の機会は無くなったと思われます。
 寄生虫性の肝硬変は広島県の神辺町役場で「片山病」患者の写真に見ましたが、実際には後にフィリッピンのルソン島に出かけた時に、訪ねた病院で腹水の貯留した中年の男性患者に出会いました。長い命ではなかったでありましょう。
 その後いくつかの経過をへて伝染病研究所の大学院に進み寄生虫研究部の佐々学教授のご指導をいただきました。ここでは日本住血吸虫も研究対象でした。小型の自動車で数時間かけて山道を巡って甲府の衛生研究所へ行き感染した犬を運んだ事もあります。後に宮入貝を採集するために何度も甲府盆地には通いました。教授のアイデアで掃除機の吸入菅を試したりしましたが、当時はそれほど多く見つかりませんでした。殺貝剤が撒かれていました。宮崎からも岡山からは中央高速を運転して行きました。甲府盆地の休耕田で1日かけてしゃがんで割り箸でつまんで200も採集すれば上出来でした。千葉の君津で思いも掛けず採集できた時には喜びました。自室には水槽に宮入貝をずっと飼育していました。普段は餌を振りかけるだけで産卵もします。しかし、なんとか大量飼育できないかと色々試みましたが、いざ増やそうとするといかにも難しいのが宮入貝です。プラスチック板でかなり大がかりな水槽を作成して水を環流する装置も作成したりしましたが難渋続きでした。
 宮入貝を用いて感染実験をするのが、これまた難関でした。マウスを実験に用いましたが定量的に感染させるのが困難な仕事です。しかし日本住血吸虫の研究にこだわりましたので宮入貝ははずせません。現在徳島大学にいる大橋真教授が色々と苦労してくれました。
 その後日本住血吸虫発見100年を記念する国際シンポジウムを機会に多田先生のご紹介で宮入館長と知己を得まして、色々とお世話になっています。国際シンポジウムは九州大学・宮入慶之助教授により記念すべき宮入貝が発見された筑後川周辺で、日本住血吸虫の研究に九州大学と共に取り組んだ久留米大学医学部において、寄生虫学会年次大会にあわせて2003年春に開催されました。その後刊行された国際シンポジウム記録と「医学のあゆみ」の特集号と「住血吸虫症と宮入慶之助」が日本住血吸虫発見100年以後を記念し記録するものとなり、関係者の念願が叶いました。「住血吸虫症と宮入慶之助」の出版は宮入館長のご尽力の賜です。
 一度はお訪ねしたいと、かねがね思っていましたが、ご招待をいただき2006年7月22日から23日記念館をお訪ねしました。ビデオや展示を拝見しました。何かと工夫をされている事が良く分かりました。歴史的に貴重な展示もあります。当時の宮入先生の発見とご研究は住血吸虫、住血吸虫病に関して世界的な業績であった事を記念し広く伝える事は重要であります。住血吸虫と住血吸虫症の研究は日本の寄生虫学の歴史の上で最も重要な世界的貢献であります。それに引き続いた研究者、行政関係者、地元の人々の努力が日本住血吸虫症の制圧をもたらしました。
 館長のラジオの歴史的コレクションも懐かしく拝見しました。中学生の頃GT菅、ミニチュア菅を使って5球スーパーを作っていた頃を思い返したのです。
 丁度この年には松代が世に話題となりました。甲子園の高校野球だけでなく山間の精密地震研究所が注目されました。この研究所も宮入館長のご案内で見学でききましたが、まわりは里山の雰囲気がありました。日本では里山は人々の心の古里となっています。里山といえばホタルの里を連想します。里山のホタルは環境関係の人々にとっては環境回復、保全の象徴です。ホタルと宮入貝は関係が有ります。いっとき宮入貝の捕食者としてホタルが取り上げられた事が有ります。宮入貝の話は環境問題にも発展する可能性を持っていると思っております。環境問題は長野県、日本にとどまらず地球世界の問題としてこれから益々重要性を持って来るのは確実です。この方向のチャンスを捕らえる事も一案と思います。
 宮入貝は水陸両棲で生物学的に興味深い生き物です。小中学校の生徒の理科教育、個体や生態の観察など自然と接する機会をもたらすと思います。この方向も地元の人々、周辺の人々との接点を与える可能性を持っています。
 宮入記念館は構想を膨らませて発展をはかる事が出来るのではないでしょうか?
 ご親族から始まった記念館が地域へ社会へと広がって支援する体制が出来上がることを希望し期待します。
宮入慶之助記念館運営委員会開催さる  2006.7.22 於:記念館(長野市篠ノ井西寺尾)

 記念誌発刊以降、20062月には、記念館だより第5号(記念誌発刊記念号)を発行し、4月には、福岡市において記念誌発刊の慰労・反省会が行われました。
7月には、当記念館事業(活動)の、今後の企画、運営方針等を話し合う会議が開催されました。記念館の名誉館長である多田 功氏(九州大学名誉教授)は福岡から、石井 明氏(自治医科大学名誉教授、実践女子大学教授)は東京から来訪され、記念館の現況視察の後、記念館関係者とともに今後の事業企画についての意見交換を行った
 記念館視察では、・その後資料が着々と収集され、心強い。・展示はもう少し整理され、方向性を加味して欲しい。・DVDの内容、現時点ではほぼ妥当と思う。・記念館のスペースが絶対的に狭すぎる。・今後も精力的に資料収集に努めて欲しい。その為、各種学会にもコンタクトを取るようにするといいだろう。などの要望・意見がだされました。
 今後の運営方向としては、・慶之助に関連する資料を今後も積極的に収集し、保存・維持する。・引き続いて、ホームページ、記念館だより等を通じて、広報活動を地道に推進する。(ブログも設定する必要あり?)・記念館活動を通して地域に貢献する。環境問題、子供達の教育等とも連携出来る活動の模索を。この後、場所を移して、懇親会が行われました。
 この会議の成果としては、
1.記念館の実情を、関係者に直接ご覧いただけたこと。
.記念館関係者が、両先生のお話を直接伺い、且つ、意見交換なども出来たこと。従来、関係者が間接的にしか情報交換出来なかったが、直接伺うことで、記念館としての共通の認識やこの分野の知識を持つことで、意義深い時間を持つことが出来たこと。

宮入慶之助記念館来館者   2006年の来館者ノートよりー


    62日 西村謙一氏(西九州大学客員教授)来館。自著書二点をご寄贈いただきました。その後、日本医事新報第4296号(平成18819日)に、「宮入慶之助記念館を訪ねて」と題する当館紹介記事を書いていただきました。
    611日 平林公男氏(信州大学繊維学部助教授)来館。ご家族で来館されました。お子さんは、古民具に大変興味を示されていました。先生のご専門は、生物学関係で、今日の環境問題との関連を研究されています。
    84日 アジア社会医療史研究会(Asian Society for Social History of Medicin ,ASSHM)一行8名が来館された。座長の飯島渉氏(青山学院大学教授)をはじめ、永島剛氏(専修大学講師)、幹事の市川智生氏(横浜国立大学大学院)の他5名の方々が熱心に展示をごらんになり、また資料を調査していかれました。このことは、ASSHMのホームページに掲載されました。後日、「宮入博士の生涯、日本住血吸虫病について、大変勉強になりました。また、宮入 博士の手になる書簡などに直に触れるという、またとない機会であったと存じます。」とのメールをいただきました。なお、ASSHMは、公衆衛生、医療の歴史をテーマとしている若手研究者の集まりで、中国、台湾、日本、イギリスなどのメンバーの集まりです。
    9月23日 福岡市の開業医佐伯清美博士ご夫妻が来館されました。1時間半ばかり見学され、いろいろお話を聞かせていただきました。佐伯先生は暖かい雰囲気で、極めてご好意あふれるお言葉をいただきました。奥様は、お父様が福岡の宮入慶之助宅近くで開業しておられ、お父様のお使いで何度も慶之助宅を訪問し本人に会って話をしたという思い出話をされ、これも大変興味深いお話でした。航空機と新幹線、タクシーを使っての日帰り旅行とのことで、大変お忙しい中をわざわざ長野までご来訪いただいたことを感謝しています。
    10月8日 信州大学医学部1962年卒業の同級会一行28名の方々が団体バスで来館されました。記念館としては開館以来最大の人数でした。一行のスケジュールの都合で40分くらいの予定が10分ほどに短縮されましたが、館内一杯のお客様にご覧いただくことができました。予定では林正高氏も一員として来られる予定でしたが、急遽欠席となったとのことで、お会いできず残念でした。  

宮入慶之助直筆の掛け軸寄贈さる(記念館の収蔵品から)      2006.10.17


 10月17日に、宮入慶之助の孫にあたる、小森淳子(キヨコ)様が、ご子息研一郎氏とともに来館されました。
 この際、慶之助の三女であるお母様 民様よりの形見である慶之助自著(昭和17年)の掛け軸(写真)をご持参くださり、当記念館に寄贈されました。書かれている内容については、今後の課題にさせていただき、早速記念館に展示いたしました。
 淳子様には、わざわざ福岡市からおいでいただきました。
 厚くお礼申し上げます。

 宮入慶之助に関連した、最近の出版物

     宮入慶之助記念館を訪ねて:西村謙一,日本医事新報4296号,2006.8.19
     岩波講座「帝国日本の学知」7巻:田中耕司編,岩波書店
     歴史民俗学資料叢書第三期第二巻病いと癒しの民俗学:礫川全次編,批評社

 編集後記

 数 年来、念願となっていた、「住血吸虫症と宮入慶之助―ミヤイリガイ発見から90年―」が、ようやく発刊できて、関係者一同、ホッとしています。多くの方々にご購入いただき、ありがとうございました。お礼申し上げます。
 住血吸虫(症)分野に於ける現在の到達点を俯瞰し、併せて、中間宿主であるミヤイリガイの発見という重要な功績を残した宮入慶之助の人物像を不十分ながらも描くことが出来たのではないかと思っています。この悲惨な病気との闘いの記録が、寄生虫・感染症分野ばかりでない貴重な人類の記録として、教訓・指針に残されていくものと思います。
 信州大学医学部1962年卒業の同級会一行28名の方々が団体バスで来館されました。来館予定者が多数でしたので、その対策として床の改装を行い、下足のままでも入館できるようにしました。