(抜粋)

宮入慶之助記念館だより   8号

特定非営利活動法人宮入慶之助記念館  2008(平成20)年3月20日発行

法人化ごあいさつ       



 宮入慶之助記念館は、このほど特定非営利活動促進法による法人としての認証を受け、平成20年2月4日付で特定非営利活動法人宮入慶之助記念館として法人登記を完了いたしました。
役員として選任されました私共一同は、当館の設立理念である「宮入慶之助の業績を末永く顕彰し、そのことを通じ社会の発展に寄与する」を念頭に、精一杯努力していく所存であります。
 ここに、ごあいさつ申し上げるとともに、皆様の今後のご支援ご協力のほどをお願い申し上げます。      特定非営利活動法人宮入慶之助記念館
     理事長  宮入 源太郎
     副理事長 鈴木 政太郎
     理事   石井 明
     理事   多田 功
     監事   川野 登
         監事   澁川 眞喜男

記念館のNPO法人化にあたり        理事・名誉館長  多田 功


 平成11年に宮入耕一郎氏が創設された宮入慶之助記念館がこのほど、長野県のNPO法人として正式に認証されました。ここに至る過程では宮入源太郎館長とそのご家族のご苦労は並々ではなかったことと思います。ご苦労に謝したいと思います。
 記念館の本格的な活動がこれから始まるわけですが、少し今後のことを考えてみたいと思います。まず宮入慶之助の事績に触れます。宮入先生はそれまで不明であった住血吸虫の感染経路を明らかにした方です。人が足を浸しかぶれを起こす水系を調べて、そこに生息する貝に眼を付けたのです.こうして住血吸虫の幼虫が現在はミヤイリガイと呼ばれる貝に潜り込み、そこで感染性を持つ多数のセルカリアになって、ヒトや動物の皮膚から侵入することを証明しました。と言うと何でもないようですが、山梨、広島、福岡などの流行地で「水腫脹満」「片山病」などと言われた奇病の感染を明らかにしたのであり、世界で初めての知見でした。この事実が分かって、世界中で他種の住血吸虫もそれぞれに貝が中間宿主だと分かったからです。国内の各流行地では直ちに貝を殺す手段が検討され、直接集めて殺したり、有効性が証明された生石灰の散布が始まりました。山梨では長野県塩尻産の生石灰が大量に使われました(小林照幸著「死の貝」をご参照ください)。その後、貝が棲息する溝などをコンクリートで覆って、貝が棲息できないように環境の改変がなされ、防圧に成功したのです。この疾病の流行はミヤイリガイが分布するところだけに限定されており、ミヤイリガイの撲滅が最大の予防だったのです.
 一般に寄生虫に限らず感染性微生物というものは、人間の居住環境やその社会、生活習慣と密接に結びついて感染を起こします。従って、有害微生物の防圧を考えるとき、人間の環境問題を考える必要があるのです。当館は今後、こうした環境問題やヒトの生き方、生態系などについて、趣旨にご賛同いただける皆様とご一緒に考えていくことが可能なセミナーや野外活動をも実施していきたいなあと考えております。皆様のご支援をお願いいたします。 

記念館の平成19年度及び20年度の事業計画概要(平成2024日から21331日まで)



 特定非営利活動法人宮入慶之助記念館は、従来からの資料の展示・公開・説明・保存のための作業や「記念館だより」の発行等を進めつつ次のような事業計画ですすみます。 出来るだけ早期に理事会及び企画検討会議を実施し計画の具体化を図ります。
1.展示事業
 記念館を随時開館し、説明・資料提供などを行う。また、建物や展示の改装・清掃・修繕などを行う。
2.イベント事業
 講演会等を開催する。
3.研究事業
 今までに収集した資料の調査・検討を行い、文書にまとめて公表する。
4.広報事業
  「記念館だより」の発行を継続し、その内容の充実をすすめるとともに、より広い広報活動を実施する。
5.収集事業 
  宮入慶之助とその関連の資料の収集を行い、記念館内の展示や広報活動の充実のために役立てる。この事業を遂行するために、記念館の活動と運営を次のような分担ですすめるとともにこの活動に参加いただける新会員を募集します。
1)企画グループ
   事業を具体的に計画し推進する。
2)展示グループ
   来館者への案内と説明をする。また、展示の整備・改善をする。
3)広報グループ 
   当館の宣伝活動をする。また、「記念館だより」などの広報誌を作成し、配布する。
4)運営グループ 
   当館の会計を担当する。また、建物内外の美化・修繕をする。
5)調査・研究グループ
   当館の資料の調査・研究をする。また、新たな資料の収集をする。

歴史に学ぶ(1)          信州大学医学部泌尿器科   加藤晴朗    



このたび、医学書院より自著「イラストレイテッド泌尿器科手術」を刊行した際、コラムに「図脳(ずのう)論」ということで臨床医あるいは外科医にとっての視覚言語の重要性について半分は戯れに持論を述べましたが、そのうちの一つに宮入慶之助氏のミヤイリガイ発見の経緯を、小林照幸氏の「死の貝」を参照に書きました。その際、記念館館長の宮入源太郎氏に記念館を案内していただき感銘を受けるとともに、今回、この「記念館だより」に執筆の機会を与えていただき、たいへん感謝しているしだいです。
  考えてみると、幼少の頃より私はミヤイリガイあるいは宮入慶之助氏と不思議な縁があったのかも知れません。私は静岡に生まれましたが、子どもの頃から虫取りが好きで、学校から帰ると虫取りや魚取りに興じていました。10歳頃になると貝にも興味を持ち、貝殻の蒐集が始まりました。両親が潮干狩りに連れて行ってくれても、アサリには目もくれず、珍しい貝はいないか探したり、土産物屋で貝の標本をねだったりしていました。あるとき本屋で保育社の貝の図鑑をねだったとき、本屋の店員がこれは専門家用だから小学生には難しいと諭されましたが、頑として聞かず、父親にねだって買ってもらった覚えがあります。その図鑑を毎日ながめていたので、カタヤマガイあるいはミヤイリガイの名前や、日本住血吸虫症の中間宿主ということも覚えていましたが、何となく恐ろしい貝がいるのだなあと思う程度であったと思います(発見者の名前であることは知らなかった)。いずれにしろ淡水産の貝は黒色か褐色で、海水産のものに比べるとあまり興味が湧かなかったが、魚取りの最中にカワニナでも見つけると不気味な貝の一種という認識を持っていたような気がします。
  信州大学の医学生になり、あまり勉強したとは言えなかったが、基礎医学を学んだ際は生理学や生化学に比べると、なんとなく研究者の人間味が感じられ、より生き物としての学問に近い「寄生虫学」は楽しく勉強できました。ただ、すでに日本では寄生虫疾患は過去のものとなりつつありました。
  甲府の病院で研修したときも、時々高齢者のCTで肝臓に住血吸虫症のなごりが見られるとの読影結果に、この風土病も過去のものになったのだなあと思いました。
  さて、私が泌尿器科医になって10年目くらいして、ビルハルツ住血吸虫症による膀胱癌を含めた泌尿器疾患の多いエジプトの泌尿器科センターに手術のトレーニングに行き、1年半ほど滞在し、来る日も来る日も手術を学びました。何故、エジプトへ?と尋ねる人も多いですが、自分の嗜好としか言いようがありません。ビルハルツ住血吸虫症による泌尿器疾患とはどんなものかという、変わったモノ見たさも理由の一つにあったと思います。そしてこの期間にエジプトの泌尿器科医によく聞かれた質問が、「日本人はいかにして、日本住血吸虫症を撲滅したか。」でした。この時、この質問に答えられなかったことが、帰国後に「死の貝」を読むきっかけになり、宮入慶之助氏の中間宿主発見のエピソードを知ることとなりました。またこの時のトレーニングが、私の泌尿器科手術書の刊行に間違いなく繋がっているのですが、この手術書のコラムのネタを考えているとき、偶然、朝のラジオで宮入慶之助記念館が、私がよく出張に行く、松代総合病院のすぐ近くにあることを知って驚きました。そして記念館で、源太郎氏に宮入貝の発見は、逆にエジプトのビルハルツ住血吸虫症の中間宿主発見に繋がったと聞いて、勝手に自分と宮入慶之助氏と繋がったと感じたのです。
  以上が自分史とお会いしたこともない宮入慶之助氏との関係ですが(“歴史から学ぶ”とは全然違うではないかと言う声も聞こえてくるが)、自分の小さな頃の嗜好や好奇心がなぜか人生のアンテナのようなモノになって、宮入慶之助氏に辿り着いたような気がしてなりません。
  さて、ここから本当の「歴史から学ぶ」を考えてみたい。子どもの頃、虫が好きだったと話しましたが、虫取りの間で“目がよい”とは、木の虚(うろ)や草の茂みに隠れる昆虫を、即座に見つける能力を意味します。あるいは、サッと眼前を横切った蝶を、一瞬にして種類が分かるなども同じような能力です。このような能力は好奇心や虫を捕まえたいというワクワク感が養うと信じています。臨床医や医学者にとっても、この“目がよい”とは、一つの優れた資質と言えます。それは医療や医学も観察という手法が重要な要素を占めているからです。誤解を怖れずに言えば、患者さんにとっての病(やまい)でも、医者にとっては好奇心の対象であることも否定はできません。中間宿主を発見した宮入慶之助氏も目がよかったのだと思います。そしてこの目は、日本住血吸虫症に苦しむ人々を何とか助けたいという強い気持ちと、誰も見つけだせなかった中間宿主を発見し、医学史に名を刻みたいという功名心(研究者としてのワクワク感)が養ったのではないでしょうか。元来、医療や医学の世界は人間くさいものであり、綺麗事ではすまされない、あるいは科学のみでは割り切れない人間の欲望によって発展してきたのではないでしょうか。(次号へつづく)

 記念館のひろばから      

 2007年6月、松本から、KS氏が来館され、応対した館長の説明や展示をメモしながら、熱心に聞き入っていました。あまりの熱心さに、館長が尋ねてみると、「中国の友人が、日本住血吸虫に罹ってしまい、苦しんでいる。出来れば支援してやりたい。この虫は、体の中にどのくらい生きているのか、虫の寿命は、産卵数・産卵期間は、有効な治療法等を知りたい。」とのことでした。
 記念館としては、是非お役にたちたいと思い、日頃からお世話になり、記念誌の執筆などでもご支援頂いた専門家の方々に問い合わせてアドバイスをいただき、次のように回答しました。
 「日本住血吸虫は、感染後成虫になるまでは、40日くらいかかる。寿命は5~6年といわれるが、諸説がある。日本住血吸虫は他の住血吸虫より産卵数が多いので、病害が最も重いとされている。」と回答しました。
 KS氏は、その後さらに詳しい友人の治療現況を連絡してきました。
 「少なくとも3年前に罹患、2回入院をした。現在は漢方で、胃、肝臓の治療を受けている。その後駆虫する予定。」そこで、更に専門家に問い合わせて次のように回答しました。
 「日本住血吸虫は一対の成虫から毎日約3000個の卵を3年間産み続ける。人間の体内には3年間は生息する。検便で虫卵が検出され、血清検査で濃厚感染が証明されれば、速やかにプラジカンテルなどを経口投与し、駆虫する必要がある。まず駆虫が第一なので、早急に専門医に受診することが大切。」と連絡しました。
 関係者一同、KS氏の今回の切実な想いが良い結果を得られることを祈っています。
 当記念館は、医療機関ではありませんので、これらの問題には、情報提供だけではありますが、記念館の存在する意義の重要さを改めて感じさせられる話でした。
 ご意見、ご要望、お問い合わせ等、今後もどしどしお寄せ下さい。

 新篇養生訓                    (最近の収集品から)       


 新篇養生訓は、慶之助が42歳の時(明治391214日)の発行です。従来、1992(平成4)年発行の復刻版がありましたが、今回、原本として収集しました。この養生訓は、日本国民の日常生活上の衛生思想を向上させるための指針とする目的で、内務省衛生局後援のもと、学校、製造所等での国民衛生読本として普及させたいとして発行されたものです。「衛生学は治療医学に對して豫防医學とも申しまする。」という予防医学についての概念も述べています。

 編集後記


 長野県庁にたびたび足を運び、ようやく法人化が実現しました。この間、館務の停滞があり、財政の問題、展示内容の改善、スタッフの増強など、問題山積です。
 新たな出発であることを、肝に銘じています。
 NHK長野放送局の番組に出演したのがご縁で、来館下さった信州大学医学部の加藤先生から寄稿いただきました。