(抜粋)

宮入慶之助記念館だより   9号

特定非営利活動法人宮入慶之助記念館 2008(平成20)年 9月30日発行

巻頭言    環境問題としての寄生虫         名誉館長  多田 功


 30年ほど以前、筆者は海外協力事業団の海外医療協力の一環でアフリカのエチオピアに滞在していました.まだハイレ・セラシエ皇帝在位中の頃で、首都の帝国中央研究所を根拠地に地方に出かけ、いろいろな寄生虫の調査をしました.住血吸虫もそのひとつで、住民の尿や便を顕微鏡で調べて虫卵を検出したり、鰐の出現に用心しながら池で中間宿主である貝を採集したものです.住民は近くの湖や池に足をつけたり、水浴をするので、すぐ感染するのです.アフリカの尿路系に感染するビルハルツ住血吸虫の流行地では、幼児の時からこうして感染します.数年経って血尿が出るのは当然のようにみなされていて、むしろ子供が血尿をするようになると、順調に育ったという通過儀礼とされている地域が東アフリカで報告されています.住民の意識を急に変えることは難しいのです.
 西アフリカのボルタ湖は農業灌漑と発電のために1960年代に、川をせき止め作られた巨大な人造湖です.水系の拡大は住血吸虫の幼虫が寄生する貝を一挙に増やしてしまいました.このためそれまで目立たなかった住血吸虫が湖周辺に住み始めた多数の人々を襲い始めたのです.住民の7-9割が感染した村もありました.こうして環境の改変は寄生虫の流行地を広げることがあります.
 マラリアを例に取ると、南米などで原生林を伐採し農業や金採掘で平地に水が溜まり人間が住み始めると、ハマダラカが新たに棲み始めます.するとマラリアの大流行が起こります.
 地球温暖化もこれからの寄生虫問題のひとつです.温帯や寒冷地の気温上昇は蚊など昆虫の生息範囲を広げます.最近、ヒトスジシマカが北日本で見つかるようになっています.この蚊が熱帯地の疾病であるデング熱を媒介することで流行が懸念されるのです.寄生虫を媒介する貝や蚊は日本にもともと存在しています.したがって、感染源が定着したり、環境条件が変わって媒介動物との接触が容易になれば、今は熱帯のものと考えられている寄生虫病が日本やヨーロッパで再び流行する可能性があります.

歴史に学ぶ(2)           信州大学医学部泌尿器科  加藤晴郎    


(前号のつづき)
 翻って、宮入慶之助氏が活躍された時代と、現代の医療の違いを考えてみると、当時は感染症や寄生虫疾患など「因果関係のはっきりした病」が多くの人々の命を奪っていたので、原因や結果までの過程を解明できれば、予防や治療に直結しました。原因の細菌や寄生虫の中間宿主を発見することにより、対策を立て、治療法を見いだし、多くの人々の命を救うことになることが目に浮かぶようになります。したがって人間くさい努力や苦労も厭わず、医者や医学者は、苦しむ人々を助けるために、原因究明に奔走したのです。そこに医者や医学者としての生き甲斐や夢があったのです。またこのような疾患撲滅には、その後の日本の経済発展も無縁ではありません。日本住血吸虫症の例を挙げれば、水路を全てコンクリートで被い宮入貝が棲息できないようにし、水田を果樹園に転換することで撲滅することができたのです。因みに発展途上のエジプトでは、ビルハルツ住血吸虫症を撲滅可能とは考えていません(お陰で、泌尿器科医は生き甲斐を持って手術の腕を磨いている)。医療界に限らず多くの人々が生きていて、生き甲斐や夢の持てる社会とは、便利で成熟した社会ではなく、むしろ発展途上の社会です。すなわち、ワクワク感のある社会であります。そして医療崩壊が叫ばれている現代医療も、疾患構造の変化や医療者が夢の持てない社会構造と無縁ではないでしょう。まず因果関係のはっきりしない疾患、原因が複雑で病気を露呈するまでに長期間かかる生活習慣病や癌などの疾患が残り、仮に原因の概要が解明されても決定打となる治療法がありません。昔ほど医者冥利につきるという経験が少なくなってきています。これは因果関係の中に加齢という死と直結した、予防が困難でありながら、確実に原因の一つとなっている要素が含まれるためでありましょう。これらの疾患を感染症などと同じように征圧可能と考えて努力すると、そのうち医療者も医学者も燃え尽きてしまうし、そんな努力は意味を持たないこともすでに見極められているような気がします。病気と付き合っていくこと、根治不可能な病であるという意識変革が必要です。
 確かに現代医療はコンピューター化やIT化で、ある面では便利になり、患者さんのデータや言動などもコンピューターから病棟に行かなくても知ることができるし、医療知識も即座にインターネットで入手できます。病棟の風景も変わり、看護師たちがデータを病室の内外でコンピューターに打ち込んでいる姿を見ることができるでしょう。そして手術もすでにロボットを利用して、患者さんに直接触れることなく行うことも可能になり、バーチャルリアリティーの世界が現実化しつつあります。
 このように現代医療は、日本社会の変化と同様、味のないもの、すなわち人間味に欠けるものに変わりつつあり、そのなかで答えのない課題に取り組んでいかなければなりません。「病で苦しんでいる人々を救いたい」という医療の原点が、われわれ医療に関わる者にも見えなくなってきています。医者が病院を去るのも、原点が見えなくなり、無力感に襲われてのことではないでしょうか。われわれが元気を取り戻し、日本の医療を支えていくにはどうしたらよいのでしょうか。私は温故知新という言葉が好きですが、医療の世界にはやはり宮入慶之助氏が生きた時代のように、人間臭さや人間味のようなものが必要であると思います。多くの医学者や研究者の中で、宮入慶之助氏のみが、中間宿主を発見できたように、歴史から学ぶことは、逆戻りできず、再現不可能であることです。他の研究者が「もし、あの時、こうしていたら・・・」と考えても逆戻りはできません。私は人間の生み出したモノで再現不可能なものが、味があると認知されるのだと思います。
 個人的には、医療に画一化や均質化(病院のコンビニ化とでも云えるか)を求める世間の風潮に逆らってでも、医療の個性化を目指し、人間味のある医療を取り戻すべきである、と考えます。

記念館のひろばからーある問い合わせー      


 2007年11月。「埼玉県在住の60歳の男性。佐賀県出身で、小学生の頃日本住血吸虫に感染し、治療して完治しました。その後は、国体にも出場するほど健康でした。最近、前立腺の精密検査を受けた際、肛門の粘膜からミヤイリガイの卵が見つかったと指摘され、大変驚いています。50年前に完治していたはずでも卵として体内に生き続けることがあるのでしょうか?今のところ全く自覚症状はありません。このまま放置していたらどうなるのでしょうか?埼玉県近辺で何処か専門的に診てくれる医療機関はないでしょうか?」と、大変深刻な問い合わせがありました。
 この例についても林正高氏をご紹介いたしました。林先生から、エコー画像などのデータによる診断から「今回のような事例は現在でもいくつかあり心配なく今まで通りの生活を送るように。」との回答があったそうです。林先生のアドバイスにより、主治医が予定した非常に苦痛を伴う検査を含め、多種の高額な検査の予定を全て中止することになったそうです。林先生のご尽力で、相談された方の不安や苦痛、経済的負担等々が一挙に解決できました。
 今回の問い合わせについても、当記念館がお役に立てたことを嬉しく思いました。日本住血吸虫症については、安全であると云われていますが、今後について考えさせられる問い合わせでした。ご意見、お問い合わせ等、今後もどしどしお寄せ下さい。

慶之助と脚気                    研究員   宮入建三 

 脚気という病気は、晋、唐の時代から記録され、日本においては、元禄、享保頃から江戸・大坂・京都などの、主として地方出身の武士や商人を中心として中流階級のなかで流行し、“江戸煩い”といわれました。
 明治34年頃にも流行しましたが、当時の医学では蘭方、漢方を問わず、その原因、対処法がわからず全く手の打ちようがありませんでした。
 その後も原因についての研究が重ねられ、いくつかの学説が発表されました。そして、「大正10年の大森憲太による、ビタミンB欠乏食による人体実験の結果から、脚気は、ほぼB1欠乏による疾病であると信ぜられるようになりました。」1
 さて、慶之助は、医学雑誌「医事衛生」昭和101月号に「衛生学説の回顧」という題で次のような文章を残しています。2
「私は大学の予備門の寄宿舎に可なり長くいた、同年の学友と同室に寝たり起きたりし、同じ食堂で殆ど同じ時刻に同じお櫃の飯を食い、同じ教室に出入りし、同じ授業に坐り、多くは同じ時間に散歩して帰り、という程に同様に生活しながら、私は脚気にかかり、我友は達者で居た。此の経験により誰が何と言おうとても脚気を単なるビタミンで片づけようという先生には、私の中に住む理會の蟲が承知しない。」
 大森憲太の人体実験による脚気の病因発表から、15年近く経過していても、「誰が何と言おうとて脚気を単なるビタミンで片づけようという先生には、私の中に住む理會の蟲が承知しない。」と頑固に主張しています。
 中川幸庵の肺ヂストマ中間宿主発見の時には、すぐに幸庵の説を是認したのに、今回は頑迷にビタミンB1説を拒否しています。
 この違いは何故なのでしょうか?
 学閥的なものというよりは、全く同じ生活をしていたのに、自分一人だけが脚気になってしまった自身の若い頃の苦い実体験が、どうしてもビタミンB1欠乏症だけでかたづけられなかったのでしょう。遺伝的な要因が脚気の一因ではないかとも考えていたのでしょうか。また、ビタミンB1説は、医学的には明確な実証が得られていないと考えられていたことも影響したのかも知れません。
〈参考資料〉 
 1)   日本科学技術史大系 第24巻(日本科学史学会 1965年)
 2)「衛生学説の回顧」医事衛生 5 1号( 昭和101月)

記念館活動記録      

  5月17日に第1回理事会・企画検討会が開催され、今年度の事業計画の内、地域向け特別開館、記念館周辺整備、賛助会員募集、および販売品の企画と発売などの具体化を決定し作業を進めました。その後の持ち回り理事会で賛助会員の募集及び近隣のマップと宮入慶之助の写真を印刷したクリヤホルダーの発売を決定しました。
  今年の2月に発行された「長野県ミュージアムガイド」に当記念館が掲載されました。平成19年度文化庁芸術拠点形成事業として、長野県博物館協議会が文化庁の補助金を受けて発行したもので、長野県内の美術館・博物館が網羅されています。(ご希望の方にお送り致します。送料として切手240円をお送り下さい)
  長野市民新聞4月22日、6月7日の各号に、当記念館の紹介記事が掲載されました。

 編集後記


 本号に掲載した賛助会員募集とクリヤホルダーの販売については、今後の記念館の財政基盤強化のために大変重要です。皆さまのご支援ご理解のほどをお願い致します。
 わが国では日本住血吸虫症について安全とされていますが、本号で紹介したように、診断や治療が出来る医師は当然ながら激減しているようです。しかし、日経サイエンス8月号にタフツ大学のR.スケリー教授の論文「住血吸虫と闘うワクチン」(記念誌でお世話になった東京医科歯科大学の太田伸生教授の訳)の中の注記で、決して安心出来ないことが述べられています。海外では、感染者約2億人、年間死者約20万人といわれ、しかも、改善は遅々として進まない現実にも目を向ける必要がありそうです。