筑後川中流域には、古くから風土病が存在し、地元の人々はこれを“ジストマ”と呼んでいました。この病気は、日本住血吸虫が原因によるものでした。
筑後川中流域の風土病日本住血吸虫病(通称ジストマ)の撲滅を目指す「筑後川流域宮入貝撲滅対策連絡協議会」は2000年(平成12年)3月、「日本住血吸虫病は、ほぼ根絶された。」と宣言し、対策協議会の解散を決定しました。
協議会は、10年前(1990年)の3月に、「安全宣言」を出していました。江戸時代以来、住民が悩まされてきた風土病に完全な終止符が打たれたことになります。「筑後川流域宮入貝撲滅対策連絡協議会」は、久留米市など福岡県内の3市3町でつくる「福岡県日本住血吸虫病撲滅対策促進協議会」、佐賀県鳥栖市など佐賀県内の1市2町の「佐賀県日本住血吸虫病撲滅対策協議会」、水資源開発公団などで構成されていました。
3団体は、久留米大学医学部寄生虫学教室と協力して、対策を進め、ミヤイリガイ駆除のため、殺貝剤散布や、生息条件をなくすための河川改修事業、あるいは牧草地やゴルフ場への転換などに積極的に取り組みました。その結果、日本住血吸虫病患者は、1980年を最後にいなくなり、ミヤイリガイは、1983年6月以来、16年間発見されなくなりました。但し、ミヤイリガイの発見に備えて、引き続き久留米市を中心とする連絡、協議体制は残すことになりました。
久留米大学医学部寄生虫学教室の福間利英教授は「ミヤイリガイがいなければ感染の危険はないが、海外から病気が持ち込まれる危険性は否定できない。」と指摘しています(朝日、毎日、読売、西日本新聞各紙の報道より。)。
宮入貝供養碑
ミヤイリガイの最終発見地となった久留米市宮ノ陣町宮瀬には「宮入貝供養碑」が建てられました。碑文には、
と刻まれています。