宮入慶之助の業績

◆研究内容

宮入慶之助は、多くの論文・著作を残しています。ドイツ留学から帰国し、京都帝国大学福岡医科大学(現九州大学医学部)に衛生学教授として着任後に寄生原虫の研究に専念し『寄生原蟲研究之栞』を著しました。当時これほどまで正確に、かつ広範囲に網羅された寄生原蟲書物はなく、ロックフェラー研究所にいた野口英世博士は、この本を非常に大切にしたといわれています。
ミヤイリガイが日本住血吸虫の中間宿主であるとした「日本住血吸虫の発育に関する追加」(鈴木稔助手と共著、東京医事新誌№1836、1913年)は、日本住血吸虫の感染経路解明に苦心していた医学界に大きな衝撃を与えました。同時に、この病気に長い間苦しめられていた住民にとって大変な朗報となりました。
ミヤイリガイ発見の後に着手したのは、肺吸虫の中間宿主探索でした。4年連続朝鮮に出張するなど精力的に研究を続けました。九州帝大退官後の晩年には恙虫病原体の研究を行いました。
衛生学、栄養学についての著作も多数あり、アメリカの実業家フレッチャーが唱えた咀嚼法に共鳴し、「食べ物は一心不乱に咀嚼して食べること。そうすれば、体に免疫力もつき、健康になれる。」と、戦時下であるにも関わらず、強く主張しました。

◆宮入慶之助顕彰碑(九州大学医学部構内)

碑文の内容
「宮入慶之助は、日本住血吸虫の感染を媒介するものが淡水産の貝であることを、1913年に世界に先駆けて発見した。その貝は現在、ミヤイリガイという和名で呼ばれている。この発見が端緒になり、アフリカなどに分布する住血吸虫の感染経路も解明され、防圧対策の糸口ができた。
日本ではかって筑後川流域や甲府盆地にあった本病の流行は根絶されたが、世界中には現在でもこの寄生虫に感染している人が2億人いる。」

Dr.Keinosuke Miyairi discovered for the first time in 1913 the snail inter mediate host for transmission of Schistosoma japonicum infection.
This snail is now called “Miyairigai"in Japanese.Based on this finding,the transmission of schistosomiasis in African and other endemic countries was clarified and control programs were launched.
In Japan,schistosomiasis has been eradicated while there are still approximately 200million people infected with schistosomiasis in other parts of the world.

◆宮入先生学勲碑(佐賀県鳥栖市曽根崎町)

碑文の内容
「大正2年9月、九州大学教授宮入慶之助先生は、此の附近の古溝に棲む一種の小巻貝、俗称「宮入貝」が日本住血吸虫の中間宿主であることを発見せられた。従って、此の貝の撲滅こそ本吸虫予防の根本策であることが明らかとなり福岡、佐賀、広島、山梨等の流行地に於ける惨害も年々激減しつつある実情である。
猶本病類似の疾患は中華民国、アフリカ並びに南アメリカにも見られるものであるが、其の病原吸虫の中間宿主も之に倣って相次いで発見せられ、之等地方に住む幾百万の人畜も亦等しく此の発見の恩恵に浴するに至った。
宮入先生は昭和21年4月6日、84歳の高齢を以て福岡に於て逝去せられた。今回此の地方の町村謀り、永く先生の学勲を記念すると共に、住民の限りなき感謝の情を表する為に、茲に此碑を建設するものである。
昭和27年10月吉日

門弟 大平 得三」

◆宮入慶之助の主要論文

「原生動物の研究につきて」(東京医事新誌№1409 1905年)
「伝染病予防に対する私見」(東京医事新誌№1800 1913年)
「日本住血吸虫の発育に関する追加(鈴木稔と共著,東京医事新誌№1836 1913年)
「日本住血吸虫の中間宿主附同虫病の予防」(東京医事新誌№1839 1913年)
「微生物学 哺乳動物体外に於ける日本住血吸虫」(日新医学2(3) 1913年)
「吸虫の研究に就て」(東京医事週報№979 1914年)
「日本住血吸虫の『ツエルカリア』」(医事新聞№895 1914年)
「恙虫病々原に就て」(高橋操三郎と共著 医事公論№750 1926年)
「寄生虫の予防に就て」(海軍軍医会雑誌18(4) 1929年)

◆宮入慶之助の主要著書

『新編養生訓』(内務省衛生局 明治講医会 1906年)
『寄生原虫研究之栞』(三共合資会社 1909年)
『衛生学上巻』『衛生学下巻』(南山堂書店 1913年・1914年)
『宮入衛生問答』(南山堂書店 1922年)
『食べ方問題』(南山堂書店 1923年)
『続食べ方問題』(南山堂書店 1924年)
『新栄養論』(福岡日々新聞社出版 1924年)
『日本人の栄養のために』(教学叢書第七輯 1939年)

 

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