ミヤイリガイ発見の意義

宮入慶之助はドイツ留学後、明治37年に京都帝国大学福医科大学(現九州大学医学部)衛生学講座の初代教授となりました(当時39歳)。着任後、久留米川流域に“ジストマ”と呼ばれる恐ろしい風土病が存在することがわかりました。この病気にかかるのは、熱心に田を耕作している勤勉な農民に多く、よく働く人ほど罹患するという、極めて痛ましい状況で、慶之助は早速この風土病の解明にとりかかりました。
はじめに、“ジストマ”流行地村落付近の小さな道路、あぜ道などから人畜の糞便をくまなく拾い採り、それらを日が暮れると整理し、風土病流行地の実態を把握し、濃厚な流行地の感染牛を探し出しました。感染牛から得られる住血吸虫卵がどのような条件で、どのような孵化をするのか、孵化した仔虫はどのように哺乳動物の体内に侵入して感染が成立していくのかなどを徹底的に調査しました。
そして、佐賀県鳥栖の町のある小溝(せぎ、田圃の用水用の小川)が、日本住血吸虫に罹患したことをしめす、“こえまけ”という症状を濃厚に起こす場所であることが分かり、この小溝には小さな小巻貝が存在することに気が付きました。
充分な確認実験を行った後、慶之助は日本住血吸虫の感染過程には中間宿主が絶対に必要で、それは米粒のようなこの小巻貝以外にないということを実験で明らかにし、発表しました。この発見によって、日本住血吸虫予防への道が開かれました。
この小巻貝は、後に新種と認められ、「ミヤイリガイ」と命名されました。この発見を契機に、アジアやインド、南米やアフリカでの同種の住血吸虫の中間宿主が発見され、寄生虫の生態も解明され、予防の方法が確立することになり、日本では撲滅に至りました。

かつての日本住血吸虫症有病地(松田肇・桐木雅史「住血吸虫症の歴史と現状」週刊医学の歩み208(2) 2004年より)

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