記念館の設立趣意

宮入慶之助記念館設立の趣意

人体に寄生して、恐ろしい風土病に至らしめる日本住血吸虫の感染を媒介する中間宿主(ミヤイリガイ)を発見した宮入慶之助は,1865年(慶応元年)に信濃国更級郡西寺尾村(現長野市松代町西寺尾)に生まれました。
西寺尾村の小学校、上田変則中学校を経て上京。帝国大学(現東京大学)で医学を学び、ドイツ留学の後、衛生学そして寄生虫学へと進み、ミヤイリガイを発見しました。
現在の日本においては、寄生虫問題は終息したかに考えられますが、人畜共通伝染病、輸入寄生虫の侵入、グローバル化した地球の温暖化が寄生虫にとって、日本だけが聖域というわけにはいかなくなってきています。
日本の三大疾病は「ガン」、「心筋梗塞」、「脳血管障害」ですが、世界的にはWHOによると「HIV(エイズ)」、「結核」、「マラリア」が三大感染症とされ、それとこれまで先進国から主要な疾患と考えられてこなかったことから「顧みられない熱帯病」(Neglected Tropical Diseases)があります。開発途上国における「顧みられない熱帯病」で最も多いものは、回虫症、鞭虫症、鉤虫症、住血吸虫症、リンパ系フィラリア症、オンコセルカ症の寄生虫を原因とする6つの感染症と細菌が原因のトラコーマで甚大な被害を及ぼしています。特に「住血吸虫症」は2億人を超える感染者がいるとされ、、制圧すべき重要な感染症としてあげられています。
ミヤイリガイを発見した宮入博士ゆかりの品は、その多くが散逸し、博士を知る人々も数少なくなっているのが現状です。博士の生い立ちや人となり、功績、ミヤイリガイ発見の意義等々を系統的に展示・記録・保存して、博士の功績を末永く顕彰し、この事実をより多くの人々に知っていただき、医学、社会の発展に寄与できればと考え、この地に記念館を設立することに致しました。

1999年4月 設立発起人

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